丹波篠山の東の端、京都の亀岡に抜ける街道に福住という、ちいさな、かつての宿場町がある。かわら屋根の町家がゆるやかにならび、そのむこうには田畑がひらけ、ふかくかさなりあう山並みが集落をつつむ。
近年になって、この福住に、移り住む人たちがぽつぽつとあらわれた。古民家を手直しして、カフェや工房や宿を営む。あたらしい色を塗るのではなく、ここにあったもとの色をそっと磨きなおすようにして。
六年まえ、伊勢成人さんがはじめた〈なりとぱん〉も、そんな店のひとつ。

「パン屋になりたいと思ったのは、小学校三年生のときです。ぼくは大阪の枚方で育ったんですが、母親の買い物にくっついて、樟葉に出かけることがよくありました。駅前には、ロータリーに面したパン屋があって、ガラス越しにパンづくりをしているところがぜんぶ見えたんです。扉が開くたびにいい香りがふわっと漂ってきて、母親を待ちながら、職人さんの手元をいつまでも眺めていました。そのときに、いつか、どこにもない自分だけのオリジナルパンをつくってみたい、一軒家で、車がたくさん停められる広い駐車場がある店がいいな、と、子供ながらに想像していたんです。
もちろん子供のときのことですから、ずっと憶えていたわけではありません。ですが、高校卒業をまえにして進路を考えたとき、求人票のなかに、あの樟葉の駅前のパン屋を見つけて、あ、ここや!と思い出したんです。小型飛行機か、ヘリコプターのパイロットになりたいという夢もあったんですが、当時は、免許の取り方すら調べられない、そんな時代でした。
入社して、もう夢中になりました。朝から晩まで、二十五キロの粉袋を担いでミキサーにかけるような力仕事ですが、毎日、十八時間、二十時間くらい働いていました。人より不器用だったぶん、とにかく、数をこなさな上手くなれへん、と思って粉にまみれていたんです。
ただ、二年ほどそんなふうに揉まれて、ふと、このままでは自分のオリジナルのパンは作れないことに気づきました。香港から帰国したパン職人の先輩が料理に長けていて、その人の作るパンが圧倒的においしかった。自分にたりないのは料理の基礎だと思って、一旦パンの世界をはなれて、高校の同級生のお父さんがやっている、創作日本料理の店にとびこみました。
二年でひととおり教えたる、と言われ、初日から、生け簀の鯛をさばいてみろといわれるような実践です。結局、居心地のよさと学びの深さに惹かれて四年もいました。後をつがないか、とまで言ってもらえたんですが、やっぱり自分のなかにはパン屋をやりたいという思いがつよかった。その後、先輩のいる玉造のパン屋で七、八年修行して、三十代になってしばらくして、天王寺に自分の店〈Cocoro〉をかまえました」

「福住にやってきたのは、ほんとうにたまたまです。近くの〈マグナム・コーヒー〉のオーナーさんと仲良くなって、時間があるたびに遊びに来ていたんですよ。
それまで、将来は和歌山あたりへ移住しようかと考えていたんです。でも、福住に通いはじめて三年ほど経ったころ、この物件を紹介されて、一目見た瞬間に惚れ込んでしまって……広い駐車場があって、家と工場が一緒で、静かで自然豊かな場所。子供のころに描いていた理想のパン屋のイメージとぴったり重なっていました。十三年つづけた〈Cocoro〉は閉めることにしました。
〈なりとぱん〉は、オープンしてしばらくは、コロナ禍が重なって、県をまたいでの行き来が制限され、田舎の洗礼というか、本当にお客さんがすくなくて、もう、どうしようかというような状態でした。でも、ここで暮らしてパンを焼くことは、愉しくて仕方がなかった。
商売としてお金を稼ぐことを考えたら、都会のほうがかんたんです。けれども、自分の手で暮らしをつくる満足感や愉しさは比較になりません。都会へ戻ろうとは思いませんね。
ぼくはむかしから、自分が食べたいかどうかで判断してきました。自分がおいしいと感じるかどうか。国産小麦をつかうのも、オーガニックの食材をつかうのも、そういう理由です。結果的に、それまで悩まされていた喘息や手荒れがおさまったりしましたが、それが目的ではなかった。すべてが、じぶんが心地よく食べられるかどうかを追求していったら、そうなった。
福住は、篠山のなかでも標高が高くて、水の沸点が低いせいか、コーヒーをいれても紅茶をいれても、香りも味わいも独特で、パンの発酵の仕方も大阪のころとはまるでちがう。酵母の生き生きとした力強さ、膨らみや香りの立ち方がまったくちがうんです。この、水や空気、環境があるからこそ、いまのパンをつくることができているのだと思います」

「ぼくにとってなにより大切なのは、いま、なんです。おいしいと感じるもの、食べたいと思うものって、日々変化していくじゃないですか。
おなじものを、くり返しつくりつづけることは、ぼくにはできないんです。苦痛。だからレシピも残さずにどんどん捨ててしまうし、半年まえとおなじパンをつくってといわれても、憶えていないんですよ。
ずっと〈坂ノ途中〉さんで扱っていただいている石臼挽きのパンだって、じつは粉や水の塩梅、酵母の状態に合わせて、毎日少しずつ変えています。
ジャズ・ミュージシャンがその日のライブで、観客や空気感に合わせて即興演奏をするのに似ているかもしれません。究極のパンとか、完璧な完成形を目指すのではなく、そのときどきにうけとるじぶんの感覚にあわせて、自然に変化していく姿そのものを楽しみたい。
だから決まり切った商売には向きませんし、合わなくなった人は離れていき、面白がってくれる人とあたらしくつながっていく。それでいいと思っています。
将来のことも、気候変動や、AIが出てきてどうなるんだろうと不安がる声もありますが、ぼくはちっとも暗い気持ちにはなりません。現実をつくっているのは人間の思考ですから、良いことを考えていれば絶対に良い方向へ向かう。うちに来てくれる二十代や三十代の若いお客さんや、新規就農した農家さんと話していると、ぼくらの想像を超える素晴らしい視点を持っていて、日本はまだまだいけるなと感心させられることばかりです。
十年後や二十年後の目標なんてありません。ぼくが見ているのは、いまだけです。そのときにやりたいと思ったことに全力で向かっていたら、結果としてここに辿り着いていただけ。だから自分の人生もアドリブのようなものです。
つぎに会ったときは、ひょっとしたらヘリコプターのパイロットになって、操縦桿を握っているかもしれません」

Photo/Yuko Aoki
なりとぱん
兵庫県丹波篠山市福住353
営業/金曜〜火曜(水曜・木曜定休) 11時〜16時




