Vision 100年先もつづく、農業を。

坂ノ途中では2010年3月から、「100年先もつづく、農業を。」という言葉をつかってきました。最近ではこのフレーズをビジョンと呼んだりしています。

農業って本来、とても長い時間軸で捉えて語られるべきものです。人類は農業を始めて以来、1000年とか2000年といった長い時間をかけて土中に炭素や栄養分を蓄積したり、あるいは過度の放牧や地下水を汲み上げつづける(過灌漑)ことによって塩害を招き農地を使えなくしたり、そんなことを繰り返してきました。

現代農業は日々進化しているのだけれど、その進化は短期的な収量最大化、省コスト化を目指しているように見えます。想像力の及ぶ範囲が、狭くなっているのではないかとも思います。未来や他者に恩恵が及ぶような智慧や、金銭に換算できない価値あるものが失われ、短期的に自分自身が経済的な恩恵を受けられるようにという考え方が都市や工業から農村、農業へ持ち込まれ広まってきたとも言えます。

その結果、農業のエネルギー効率は悪化しているし(農業で消費する化石エネルギー量はぐんぐん増えており、生産エネルギーより消費エネルギーのほうがずっと大きいです)、農林業の多面的な価値は軽視され、地域の余剰資源を循環させるよりも化学肥料を輸入してきたほうが手間もかからないし安上がりだという発想になります。

坂ノ途中では、森林保全を主目的のひとつとして、「海ノ向こうコーヒー」と名づけた事業部で東南アジアの森のなかで育てるコーヒーの品質向上に取り組んでいます。僕はいろいろな国の山奥を訪れますが、山が丸裸にされて、見渡す限り飼料用のトウモロコシ畑になっている様子をミャンマーでもタイでもラオスでも見かけます。1973 年にミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナム合わせて1億 4000万haあった森林は、2009年には1億haにまで減少しています。とてもじゃないけれど1000年や2000年なんてスパンじゃない。30年と少しで3割失っているのですから。

このままでは「たった」100年さえ続かないかもしれない。

坂ノ途中では、1000年も先のことはちょっとよく分からないけれど、せめて100年先くらいまでは想像しながら、それくらいの近い未来には責任ある生き方をしたいと思っています。わたしたちの「100年先もつづく、農業を。」は、一言付け加えるならば「せめて、100年先もつづく、農業を。」なのです。

代表取締役 小野邦彦

Mission事業を進める際の、指針。

01

環境負荷の小さい農業を広げる

3つの、大きな指針というか、方向性をあらためて定めました。そのひとつ目がこれです。 新規就農した人の営農の際のハードルを下げたい。そうすることで、環境への負担の小さい農業に挑戦する人が増えていくきっかけを作りたいと思っています。 新しく農業をはじめた人たちが陥りがちな、お野菜の生産が少量不安定になることを、致命的な弱点にはさせない、それを一緒になって乗り越える。彼ら、彼女らの育てる野菜の、品質の良さや、珍しいお野菜の栽培に積極的に挑戦できるといった強みを、価値として発揮できるようにする。そういったことのために、農家さんたちとは細かなところまで何度も話し合うし、八百屋さんたちと共同で集荷の方法をととのえる、そんな地道な工夫を重ねていきます。  「私たちの考え」のページに長い文章を書いていますので、お時間あるときにご覧ください。

02

多様性を排除しない
流通のしくみをつくる

野菜は生きものだということを僕たちは大切にします。生きものはひとつとして同じものはないし、時間や環境、いろいろな影響を受けて変化する。ブレがある。それを、非効率だからといって切り捨てたりしない流通のしくみをつくっていきます。 活用できるものは、なんでも活用する。坂ノ途中には、受発注のシステムや、お野菜セットの組み合わせを考えるときの補助ツールなど、ITを活用した独自のしくみがたくさんあります。そして出荷チームには「このコマツナ、見えへんけど虫いるかも」「このレタス、元気そうやけど、お客さんに届くときにはズルケがでるかも」、そんなアンテナ、感性が育っています。

03

ブレを楽しむ文化を育てる

お野菜はいろいろに変化すること、それを楽しむ暮らしを提案していきます。糖度が〇度以上を保障するような画一的な扱いはしません。時間の流れとともに変化する味わいを伝えます──夏のおわりに少しずつ実が固くなっていく夏野菜にお別れを告げたり、甘味がのる前の冬野菜を食べて期待を膨らませたり、長雨のあとの野菜を少し水っぽく感じたり、条件がピタッと合ったときには震えるくらいの美味しさを感じたり。 野菜という生きもののブレを伝えたり、楽しみ方を提案することで、想像力のある消費につなげたいと思います。そんなふうにお野菜の多様性を許容し、楽しむ社会は、きっと人に対しても包容力を持った社会じゃないかと思うのです。
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