知らない道を往きたくなります。
ドライバーとして、片道二時間をかけて農家さんをまわり、野菜の集荷をするとき、決まりきったコースではなく、走ったことのない道を選ぶことがよくありました。
やまのあいだファームへ向うときも、やまのあいだファームから帰るときもそうです。
不安をかかえながら走る未知のルートが、突然、知っている場所に出る。ああ、ここにつながるのかと、謎が解けたような心地よさが好きなのかもしれません。

この春、坂ノ途中を退職して、滋賀の実家で農業をはじめることにしました。
四年前に入社して、しばらくは出荷作業とドライバーとやまのあいだファームの三つの部署を掛け持ちしていました。野菜を育てるところから、集荷、出荷、配達までを経験できたのはとてもありがたかった。
ただ、それでも配達などで、お客さまと話をすることがあると、いつかは農業がしたいんですよね、などと口にしていました。
もうすこし畑仕事を学びたくて、ドライバー不足で仕事が厳しいのにわがままを言って、やまあい専従になったのが一年前です──ドライバーのみんなありがとう──。

たった一年ですが、この一年は、畑の主にでもなったつもりでした。
やまあいが、独立して経営が成り立つようにと思って取り組みました。でも、やはりそう簡単にはいかない。
まるまる畑で過すなかで、いろいろと、はじめての野菜にも挑戦しましたが、そのぶん失敗もたくさんありました。
農業は、経験を積みかさねるのが難しい。たとえば米づくりの場合だと、一年に一度しか経験できない。なんとか、失敗を成功の土台にしたいと思っています。

この春には作付けをはじめないといけないので、準備が間にあうかどうか不安で、就農はもう一年待ったほうがいいように思いましたが、一年先になってもたぶん状況はかわらない気がするので、これでいいのだと思っています。
見切り発車もいいところですが、石橋を叩きまくってしまう性格なので、石橋が叩き壊れないうちに渡りはじめようと決めました。

大学を卒業後、社会人としての第一歩は京都の森林組合での、樵夫の仕事でした。魅力はありましたが、将来を見通すことができず、危険なこともあってやめてしまいました。その後は、実家に戻ったり京都に出てきたりを繰りかえし、青年海外協力隊で訪れたドミニカ共和国に移住して生きていこうと考えたこともありました。
けれども、ずっと実家のことが心のどこかに引っ掛かっていた。
跡を継ぐというほどの大きな家ではなく、家屋と田畑があるだけなんですが、長男として生まれたことで、なにかを背負っているように感じます。ちいさいころに、ばあちゃんに暗示をかけられたのかもしれませんが……嫌なことではありません。
実家のまわりにはなにもなく、なにか淋しい空気に覆われているようです。好きな場所のことを、そんなふうに感じてしまうのは辛いので、実家のことだけでなく、この地域をもっと元気にしていきたいと思っています。

いろいろな回り道をしてきましたが、そのどれもが、実家に帰り、生活をしていくということにつながっていたようです。
むかしは、まさか自分が農業をしていこうとするなんて、想像もしていなかったけれど、家に畑があり、生まれ育ったこの土地が好きで、農業に興味を持つきっかけ(※やまのあいだのダイアリーvol.59参照)があった。
あとは一本道を進むだけ!
どうか、分かれ道が出てきませんように。

●まつい

※野菜ができたら、坂ノ途中でも扱ってくれそうです。みなさまに僕の野菜が届いたときは、遠慮なしの感想をお知らせください。あー、屋号がなかなか決まらない。