vol.27

1.

 会いたかった人に、やっと会えるようになりました。
 あいさつを交わすとき、にっこり笑った口もとまで、ちゃんと見えるようになりました。
 この夏は、ひさしぶりに、近くの河原で市の花火大会がひらかれます。
「いまはしかたないね、がまんだね」
 この三年間、なんどもなんども、子どもたちに、そして自分自身に、言って聞かせた言葉です。
 これからはもう口にすることも少なくなるはず。
 でも、なんでだろう。夜、子どもたちが撥ねのけた布団をかけ直しながら、明日がやってくるのを楽しみにしているような寝顔を見て、不安が、灰色の雲のようにひろがってくる。
 平和だなあ、そんなふうに思えたのはいつだっただろう。

2.

 二月──。
 その日は曇り空で、とても寒かったけれど、かすかに春の匂いもしていました。子どもを小学校まで送っていった朝、かじかむ手をさすりながら教室に着くと、校長先生のお話が、校内放送のスピーカーから流れてきました。
「ミサイルが発射され、Jアラートが鳴ったら、頑丈な建物のなかに入り、窓には近づかないようにしましょう。自分の身は自分で守りましょう」
 わたしは、日本が焼け野原になった戦争がおわってからしばらくして、戦後という言葉も遠ざかり、豊かな国へとすがたを変えた時代に生まれ、育ちました。
 もちろん、明るいニュースばかりが聞こえていたわけではありません。オゾン層の破壊や地球温暖化のことを知って、どうすればいいんだろうと不安だったし、ベストセラーになったフランスの占星術師の預言書を真に受けて、わたしは大人になれるのかなと心配で眠れないこともありました。そして、世界のあちこちでは、あいかわらず争いが繰りかえされていました。
 戦争は怖い、絶対にいや、だめ、と強く思っていましたが、どこかで、教科書やテレビのなかのことという感覚もありました。日本はもう戦争をしないと大人に教えられ、大丈夫、自分にむかって爆弾が落ちてくることはないと信じて、夏休みの家族旅行を楽しみにしたり、大きくなってお化粧をすることに憧れたり、将来の夢をかんがえることもできました。
 でも、いまは……うす暗く、寒い教室のまえの廊下で、冷たくなった足先を見つめながら思いました。しかたないねと言うしかないんだろうか。わたしも、こういう世をつくっている大人のひとりなのに。

3.

 四月──。
 何年かぶりに、祖母のもとをたずねました。
 祖母の家の台所にはちいさな棚があって、そこにはいつもあんこたっぷりのおまんじゅうやら菓子パンが入っています。わたしがちいさかった頃も、遊びに行くと、甘いものをたくさん買いこんで待っていてくれました。ごはんのときには、食卓にすきまがないくらいにお皿が並びます。
 もう、むかしほどには台所に立てなくなった祖母ですが、その日も、心づくしの料理でもてなしてくれました。夜、布団に入ってから、わたしが小学生の頃に、宿題で祖母から聞いた戦争のはなしを思い出しました。戦時中、国民学校の生徒だった祖母は、学校に通っても教室で勉強をすることはなく、校庭を耕して畑をつくり、そこでかぼちゃやさつまいもを育てる、そんなことばかりさせられていたと言っていました。きっと、甘いものなんて、食べられるわけなかったはず。笑いながら、いいなあ、あんたらは、と最後に冗談めかしてつけくわえたひと言が、いま思い出すと、本音だったのかもしれません。
 食べきれないほどの料理や、甘いもので、孫たちをもてなそうとする気持ちも、むかし、食べたくても食べられなかったということがあったから。辛い、をとおりすぎた、飢えという体験。喜ぶわたしたちに、もしかすると祖母は、おさないころの自分の夢を重ねていたのでしょうか。
 明日どころか、今日でさえ、自分がどうなるのかわからない、そんな世を祖母が生き抜いてくれたから、わたしも子どもたちも、いま、ここにこうして生きている。
 わたしには、なにかすべきことがあるような気がしました。

4.

 夏──。
 子どもたちに、八十年前の戦争の話をしようと思います。祖父母がそのときどうしていたかということ、父母が祖父母から繰りかえし言いきかされたこと、わたしが映像や残された記録から学んだこと。あの時代に起きたことの、おそらくほんの一部分だけれど、それを伝えておきたい。
 そしてもうひとつ。
 いつも笑顔で食卓をかこみたい。料理愛好家の平野レミさんが、『平和は幸せな食卓から』というエッセイを書かれていました。幸せな食卓が広がれば、街も、いつか世界も、平和になると思う、と。この考えが、とても好きです。
 家族と、友だちと、仕事の仲間と、ご近所さんと、またいっしょに囲めるようになった食卓。さえぎるものもなく、笑顔でテーブルにつく、これからすこしずつでも、そんなときが増えていきますように。明日も、明後日も、子どもたちが大人になっても、笑って、いただきます、ができますように。
 食卓を囲むひとりとして、わたしは願い、言葉にしつづけます。
「しかたないね」ではなく、「平和がいい」と。

●色川友里