vol.008
七代先まで祟る、なんてフレーズがあります。「猫を殺せば七代祟る」「坊主を殺せば七代祟る」「火元は七代祟る」など、いろんな表現があるようです。
時代小説などで見かけた気がしますが、言い回しの面白さから、最近ではアニメや漫画でしばしば使われている模様です。真偽不明ですがネット上では、「インドネシアにも同様の表現がある」とのこと。
一方、海の向こう、アメリカ大陸でも、ネイティブアメリカンには「七代先のことを考えよ」という教えがあるそうです。つまり七代は、こちらでもあちらでも、とても遠くの時間を意味するワードとして使われているといえます。さて、なんで七代なんでしょうか。
自分の七代前って、誰の時代なんだろうかと考えてみます。祖父母が二代前、祖父母の祖父母が四代前、祖父母の祖父母の祖父母の父母が七代前か。それって、何人いるんでしょうか。生物学的なルーツという意味では、祖父母は4人。祖父母の祖父母は2の4乗で16人。祖父母の祖父母の祖父母の父母は2の7乗なので128人です。実際には、養子に行ったり、父母のどちらか、あるいは両方が亡くなったり離縁するなどして親戚や養父母に育てられたり、とても多くのドラマがあって命は繋がれてきたと思うので、血縁だけを考えるのは単純化しすぎているし、純血主義みたいで好みではないけれど、ともかく、2の7乗は128です。
もし祖先が七代祟られても、その祖先というのが祖父母の祖父母の祖父母の祖父母であればセーフ。あなたは祟られません。祖父母の祖父母の祖父母の父母128人のうち誰かが猫や坊主に七代祟られたら、それはあなたの代でも有効です、お気をつけください。みたいな話ですね。
ところで、ダンバー数という数字があります。おもしろくって僕もあちこちで紹介してしまうし、けっこう人口に膾炙(かいしゃ)していて引き合いに出すのが若干恥ずかしくなってきているのだけれど、ロビン・ダンバーさんという進化生物学や人類学系の学者さんが提示した数字で、人が安定的にコミュニティを維持していくための、認知的な上限はこの辺じゃないですかね、というものです(あくまでダンバーさんが言ってるのは認知的な上限であり、仕組み次第であれこれかわるはずで、絶対的な上限ではないです)。
僕は、フィールドノートのvol.002「100年先もつづく、農業を?」でもすこし触れたのですが、数年前に新潟県の十日町市博物館に行ったことがあります。そこで縄文の人たちの暮らしの展示を見ていたら、「縄文時代は、集落の人数を150人程度までに抑えていたと思われる。それを超えると、集落を分割していたようだ」といった内容の解説があり、これ、ダンバー数やん! と驚きました。縄文の人たちは、150人くらいを超えると、ちょっと仲間意識が薄れるなぁとか、もめごとが増えるなぁとか、なんとなく感じていたのでしょうか。数千年という長きにわたり続いた縄文時代の知恵ですので、真摯に受け止めたい気持ちになったものです。
七代というのも、ダンバー数と関連して考えることができるかもしれません。ダンバーさんは同時代の横のつながりの話をしているので、祖先とか子孫の話にこじつけるのは小野の勝手な拡大解釈にすぎませんが、七代前や七代先は、ギリギリ実感を持って想像できるという最大射程なのかと思うのです。現代は、爆速で時代が変わっていくので、七代前? 電気も水道もない幕末の農民? いやいやまったく想像できんって、というところですが、こんなに変化が押し寄せる時代自体が人類の歴史の中で異常事態であって、縄文次代の集落に暮らす人にとっては、七代前? ああ、この集落で狩猟採集をメインに先祖が暮らしてたな。七代先? この集落で同じように子孫が暮らすであろうよ、という感覚だったのではないでしょうか。
僕の母の実家は、過疎の極北、奈良県の十津川村というところです(vol.003の「自給的農業と時給的農業と」ですこし触れています)。家の裏手の山に、集落(といえるほどの世帯数でもないのだけれど)を見下ろすように先祖たちの墓があります。この墓のロケーション自体が山岳民族っぽくて僕は好きなのですが、まあ、それは置いておいて、誰の墓であるか紐づけできるのって、大体僕から見て四代前くらいまでなんです。墓に碑銘を刻む技術の問題、僕がそんなにしょっちゅう十津川に行かないという伝承の問題もあるのだけれど、ともかくそれくらい前になると、墓は「誰の」という紐づけがなくなっていく。
苔むした石が、少しだけ整えられた山の斜面に置かれている。台の役割を果たしている石に墓石らしき石が乗っているものもあるし、台しかない墓もある。それぞれの石は角が削れ、ずいぶんと丸くなっている。台の石が割れているものもある。そうやって徐々に、個人の墓から、誰かの墓になり、墓っぽい気配のある場所になり、やがて、このあたりにもお墓があったなぁ、になっていくのだろう。
こんなふうに、祖先や子孫は時代が遠ざかるにつれ徐々に固有性を失い、ぼやっとした過去、未来になる。
七代先までは、そんな、姿を失いかすんでしまうほどの遠くまで、という意味なのだと思われます。企業活動も、そういうものかもしれない。それが重要な意味をもつ活動なら、その仕組みや価値観は社会にインストールされることもある。
一部は消え去り、一部は世の中の当たり前になっていき「こういう仕組みって誰がやりだしたんだっけ」とあいまいになったり、場合によっては「あれ、おれが最初に始めたんだよね」と誰かが言い出したりして、どんどん固有名詞は失われる。墓石が丸くなり、割れ、どこが墓かあいまいになっていくように。でもきっとそれでよいのです。あるいはそれが、大切にしている文化や方向性が本当の意味で社会に実装されたということかもしれません。
坂ノ途中をスタートして、いつの間にか15年が経っていました。七代先のことを考えると15年というのは本当にわずかな時間ですが、日々を生きる時間軸ではちょっとした節目のようにも感じられます。16年目も、長い時間軸で考えながら地道な積み重ねを大切にしていきたいと思います。
●小野邦彦
Photo/Yuko Aoki