vol.004

みなさん、お元気ですか。僕は今日もなんとか働いています。働きながら、いったいだれと働いているのだろうと思い始めて、この稿を書いてみる次第です。

経営管理のあれこれにおいて、「人」という字が登場するのはひたすらに人件費という言葉としてです。人をまず費用としてみましょう、というのが経営管理上の当然とされる発想です。いやむしろ経営管理という一分野においてだけでなく、もっと広く、ビジネス上の常識というか、資本主義の世の中の前提にさえなっているようです。うーん、なんだかそれってとても貧しくないですか。

自分もいちおう組織の代表なので、そういう思考になりがちなこともよくわかります。いやほんと、会社をやってると人件費って強烈です。手をかけてでもよいサービスにしよう、非効率でもまっとうな流通を作ろう、なんて思ったらどんどん人手が必要になっていきます。人件費が最大の費目、あるいは原価の次に大きい費目という企業は相当多いと思います。

ちなみに、みなさまにはぜひ、社会保険料というものがなかなかスペシャルな存在感を発揮していることを知っておいていただきたいです。額面上の給与が100だとしたらそれとは別途15くらいの社会保険料を会社は負担しています。そしてみなさまの給与からも従業員負担分の社会保険料や所得税が引かれます。そのほか通勤費やらなにやらで会社としてはざっくり手取りの1.5倍くらいの人件費がかかっている今日この頃です。

なので、人件費が…と日本中で呻き声が出ているわけです。なにをするにしても条件反射的に人件費に意識がいく経営者も多いのではないでしょうか。社内のだれかが前向きな気持ちで、「こんな素晴らしいことをするためにもう一人採用しましょう!」と提案しても、「人件費もっと払ってください!」に聞こえてしまう。前途ある若者が入社を希望しても、その希望溢れる笑顔が「僕のために人件費払ってください」と語っているように思ってしまう……。めっちゃわかります。めっちゃわかるんだけど、人件費が真っ先に頭をよぎってちゃいけないんじゃないかとも思う。

腑分けとはたけ

水不足でサトイモの葉焼けがすすんでしまった

最近は、やたらリソースっていいます。「人手が足りない」ことを「リソース確保が難しい」みたいな。「開発リソースが確保できました」ってなんだよ、「田中さんが手伝ってくれるそうです」のほうがよくない? 前者だと、ふーんってかんじだけど、後者だと、田中さんありがとう! ってなります。人間を機能でしかとらえていない言葉な気がして気持ち悪いと思うのです。そしてそう思いつつ、やっぱり便利な表現で僕もしばしば使ってしまうのだけど。

人間を費用としてとらえる、費用によって何かを生み出す資源としてとらえる。これってとても分析的な思考です。コストとそれがもたらすメリットをこまかく分解していく、人間を腑分けしていくように。なるほど構造は理解できたぞ、でも生き生きとしたなにかは永遠に損なわれました、というブラックな寓話のような寒々しさを感じます。分解していくことは、なにか課題解決を図る際などにとても有用です。一方で、分解することで全体の意味を捉えそこなうということもよくあります。腑分けしていく発想が強すぎる組織では、生命力を感じさせるような躍動する事業はつくりにくいかもしれません。

畑ではインプットとアウトプットが直線的に対応することは稀です。教科書通り施肥設計しても、地温が下がって分解速度がゆっくりになってしまえば有機肥料って効かない、みたいなのはわかりやすいほう。何も投入していないのに、もともと土が肥えていたのか、日照など気象条件に恵まれたのか、ともかく今シーズンは豊作だわ、みたいな、なんかわからんけど上手くいったわ/上手くいかなかったわ、というのもざらにある。

坂ノ途中が取引している農家さんは勉強熱心で真摯な方が多いです。それでも、答えがわからないことだらけ。いろんな仮説を立てることはできる。なかには、たぶんこういう理屈だろうとわかることもある。だけどさっぱりわからないこともたくさんある。「この畑は楽やわー、前使ってた人がいい感じの土にしてくれてるから」なんて話もよく出てきます。直線的ではなく回りまわってうまくいったり、回りまわってうまくいかなかったり。上手くいくための蓄積をした人と、それの恩恵を受ける人が別人だったり。円環的な作用の連続があって、そのなかで自分たちも努力したり誰かのおかげを享受したりする。短期的に自分が損した得したといちいち騒ぎ立てない、寛容さがそこにはあったりします。

もちろんその一方でコントロールしたい、計画的に栽培や営農を進めたいという欲求はあります。生活だってかかっている。必死です。だけど、そのコントロール欲求より一段ふかいところで、そういうわけにもいかんよねと知っている。ゲタを預けるというか、なにかになにかをおまかせしている。これってすごくキツイこともある。雨がふらなくて泣いた、なんて人もいる。そこまで雨雲が来てるのに、なんでこっちまでこーへんねん……!  ベストを尽くしても、体力の限界まで働いても、雨雲は今日もあと少しだけ、こっちに来ない。

これは大変なことだけれど、人を追い詰めすぎないようになっている。一人で背負い込まなくて良い、雨が降らない責任をとれなんて誰も言わない──無理解な会社と契約栽培しちゃってると責められるかもですが──。

そういう営みを知ってるから余計に、費用やリソースとして人間を単純化して人間をこれくらいインプットしたらこんなアウトプットが得られる、という発想になじめないのだと思います。無数の生き物が集まって形成されるこの世のことわりというものはそんな単純でもないし、そんなに冷たくもないはず。なんていうんだろう、残酷だけど冷たくはない。

ダリとはたらく

坂ノ途中・海ノ向こうコーヒーチームの鎌塚さん。だいぶ緩くなってしまったけれど、髭にはパーマをかけていた

会社はファミリーだ! みたいな捉え方ってすっかり過去のものになった感じがします。昭和っぽいと言われるもののひとつでしょう。とはいえ今でも、起業したての会社はわりと家族っぽさがあるケースも多そうです。そして家族的性質を含んだ立ち上げ方のほうがなんだかんだ言いつつ生存率が高い気がします。

坂ノ途中はというと、数年前まで会社には常にだれかが住み着いていたし、お昼にまかないを一緒に食べたりするしで、けっこう家族っぽい雰囲気があるほうだと思います。年々、組織が拡大するにつれてそれは薄まっているけれど。そういえば数年くらい前まで、社内恋愛の話を聞くのが苦手でした。無意識的に会社を家族に類似するなにかと感じていたからかもしれません。最近ふつうに面白がれるようになってきた気がする。ですがまぁともかく、多少家族的雰囲気や性質があっても、一緒に働くメンバーは家族です、とは言わないですよね。

あるいは最近、同僚や取引先など、やや広い意味で仕事を共にする人を「仲間」と呼ぶ人が増えているような気がします。「ほかの仲間を紹介したいんで」「それは別の仲間がやっています」みたいな。地域おこし系の人とかフリーランスの人から聞くことが多いように思います。これはこれで、家族というのとはまたちょっと違う味つけの小っ恥ずかしさがある。ちょっと少年漫画っぽいというか。

さて、あなたはいったい誰と働いているのだろう。私たちは人件費と働いているわけでもなくリソースと働いているわけでもない。かといって家族や仲間というとなんだかもじもじしてしまう。一言で表現できないこと自体が、人間存在の複雑さやともに働くということの多面性を表しているともいえるわけですが、斜め前の座席でパソコンを触るダリみたいなヒゲを生やした人を見ながら、この人はいったい何なんだ? と思っています(ていうかそのヒゲなんなの?)。

一切衆生 悉有仏性

向っていちばん右と右から3番目のふたりが、坂ノ途中の田中さんです。ITチーム

自分としては、同じ船に乗っているという表現をしばしば使います。採用選考の時も、誰に船に乗ってもらいたいかみたいな言い方で議論します。これはこれで海賊が大活躍する少年漫画っぽいのですが、それなりに運命共同体であること、ただし途中で降りることも乗り込むことも起こりえること、何かしら方向性を持った集団であることが暗に示されていることから、けっこういいんじゃないかと思っています。

飛躍させるならば、ポテンシャルだともいえるかもしれません。結局のところ会社ができることは、メンバーができることの合計でしかない。働く人たちのポテンシャルの合計が、自分たちが到達可能性を持つ範囲を示しているというか。だから共に働く人たちが今何をしているかよりもむしろ、この先どんなふうに開花していくかが大切なんだ、みたいな。これはどうだろう、メンバーを尊重する気持ちにもなれるし、素直に成長を喜び合えるし、なかなか良い発想なんじゃないだろうか。

このあいだの週末お墓参りにいったからか、仏教の「一切衆生 悉有仏性」という言葉を思い出しました。仏性とは仏になりうる可能性を意味するそうです。なのでこのフレーズは、だれでもみな、ことごとく仏になれる可能性をもっているよ、といった意味合いだと思います。他者に対して、いまは顕在化していない、その人が持つ潜在的な可能性も含めて向き合う気持ちにさせるよい言葉だと思っています。いや、そんな狙いの言葉なのかわかりませんが、僕はこの言葉を聞くとちょっと寛容になったりありがたいと思う気持ちが高まったりするのを感じます。つまり社内で働く人たちももちろん仏性であり、何度言っても請求書が出てくるのが遅いあの取引先も仏性の集合体だし、機嫌によって対応が変わりすぎるあの人だって、ちょっと自分に甘くて人に厳しいかんじのあの先輩だって仏性なので、まぁ仏性同士仲良くやっていきましょう。そんなわけで本年もどうぞよろしくお願いいたします。

●小野邦彦