vol.005

 この七月二十一日に、坂ノ途中は十四年目を迎えます。
 生まれて十四年って、人間でいうと中学二年生。ぼくには、中二って、けっこう転機のときでした。
 見た目の変化はあまりなかったけれど、中身は大きく変わりました。
 やたら仲が良かったアイツとは別のクラスになるし、大好きだったあの子は引っ越して転校してしまうし、不愉快なできごとがいろいろ重なって、気持ちがすっかり拗ねてしまった。しかたがないから本ばかり読んでいた。
 
 そうして、もともとひねくれた子供だったところに、変に知恵をつけてしまった。その結果、人間はなんて罪深いんだとか、大人は信用ならないとか、それまで抱いていた思いや疑いにたいして、歴史上こんなふうに証明されている、みたいな理屈を補強してしまった十四歳だった。視界がどんどん開けていくような一年だった。
 いつも見ていた、二階のベランダから眺める景色も、なんだか違って見えるようになってしまったことをよく覚えている。

14歳のころのように

 この数年、世の中はずいぶんと変わりつつある。大きな影響をあたえたものだとコロナ禍。農業に関連したところでは、農水省も環境への負担のちいさい農業を拡げようと「みどりの食料システム戦略」というものを打ち出してきた。
 坂ノ途中に向けられる視線も、だいぶ変わってきたように感じる。有機農産物の流通や農業の持続可能性について、専門家として意見を求められることも増えた。
 問いかけには、真摯に、答えられることには答えようとしている。ただ、今一度、分かったふうにしゃべる自分をなくしたい。
 ぼくたちは、まだいくつかの仮説をもっているだけだ。それこそ、十四歳のがきんちょのように、結局のところ何ひとつわかっていないことを、あらためてここに宣言したい。

坂ノ途中​の研究室

 半年ほどまえに、「坂ノ途中の研究室」というチームを立ち上げました。「100年先もつづく、農業を。」といつも口にしている、ぼくたちは、十四年目を迎えたいま、いったいどこに立っているのだろう。それを、情緒的な話ではなくて、ニュートラルな姿勢でしっかりとデータを集め、分析して、坂ノ途中の現在地をあきらかにする。
 そのうえで、坂ノ途中が果たすべき役割や、どこに向うべきかを見つけていく……そんなことをしていきたいと思っています。

世界をはじめてみるまなざし

 インドネシア・スマトラ島のクリンチマウンテンの麓で、早朝、この原稿を書きました。朝日が昇り、はじめて世界をみるかのうような気持がしています。そんなふうに、まっさらな、透んだまなざしで、自分たちの役割を考えていきたい。
 見える景色がどんどんかわる一年にしたいものです。なんだか愉しみ。


●小野邦彦

Photo/Kunihiko Ono & Yuko Aoki