植物が分解されていくさまをみることが、けっこう好きだ。いのちの力によって一時的に集められ集合体となった元素たちが、土壌動物や微生物の力でまたそれぞれに還っていくのだなぁと思ったりする。
人間だって離合集散する。何の因果か人間が集まり、その集合体が命を与えられたようにダイナミズムを発揮したり一体感をもつことがある。そしてやがて、その生き生きとした何かは解散する。社会や都市といった大きな規模でも、会社やサークルといったミニチュアサイズでもそれはおこる。
3年2組というような、終わりが最初からセットされている場合もある。そこには冬を越せないことがあらかじめ決まっている一年草に似た寂しさがある。

キュウリやカボチャ、フキなんかは大きな葉っぱがわっとひろがる。とても速い。だけどその葉っぱは、本体から切り離されてしまうとあっという間に分解される。一方でそれぞれの野菜の幹やツルはけっこうずっと残る。夏野菜のあと片付けをしていない畑では、オクラやナスの枯れ木がずっと突っ立っている。
リグニンという植物の細胞壁の主成分の影響が大きい。木質性のもの(要するに木っぽいもの)にはリグニンが多く含まれる。このリグニンを分解できるのは、一部の菌などに限られる。作り出すのが大変で時間がかかるんだけれど、かっちりとした壁になって長持ちする。高価だが耐久性に優れた建材のようなものだ。草もリグニンを合成するのだけれど、生長速度を優先するためか量はかなり少ない。
分解の速度を決めるのは、植物の状態のほか、分解者(ミミズやダニといった土壌動物や微生物)の量や多様性、活性度、あるいは直射日光の量など、いろんな要素があるのだけど、とてつもなく大雑把にいうと、生長が早いと分解されるのも早い。草本性植物(つまり草)と、木本性植物(つまり木)の差は歴然だし、それぞれのパーツによっても分解される速度は異なる──竹はどう考えるんだよ、とかいろいろ例外も多いけれど──。

坂ノ途中の成長

スナップエンドウ。つる性植物は、自立を放棄して上や横へののびる速度を優先するという戦略

坂ノ途中では、お祭り騒ぎでは社会は変わらない、社会のありようを変えようと思うなら長距離走スタイルであったほうがよい。だから、派手じゃなくても地道にやっていこう。なんて話をしばしばする。植物の分解と同様に、お祭り騒ぎで急速に盛り上がったものは、同じような速さで分解されて気づけば跡形もなくなってしまうのではないかと思っているのだ。

生長速度を誇り、わっと盛り上がってさっと消えてなくなる、みたいなのは避けたい。
味わいも、同じ作物なら、素早く育ったものよりゆっくり育ったもののほうが滋味深いと思う(※)。長期的な社会や環境への影響を大事にしながら、ゆっくり育って、しみじみとした味わい、奥行きがある。坂ノ途中はそんな存在でありたい。
あるいは、自社が必ずしも大きくなる必要もない。ぼくたちが大事にしているメッセージやスタンスが、だんだん社会に浸透して、それが当たり前になっていけばいいと思う。とても限定的な場面では、そういう変化も感じる。たとえば、農業は環境への負担が大きい、と僕が話した際に意外な顔をされることは減り、うなずかれることはずいぶん増えた。新規で農業を始めた人の農産物は品質が高い、と話したときに「こいつ、だいじょうぶか?」という反応をされることもあまりなくなった。

だしをだす

タンザニアからやって来た農業普及員の人たちに、食品残渣堆肥の成分などについて解説を行う村山さん(右端)。2017年。

三重県伊賀市で野菜を育てたり流通させたりしつつアフリカにも農業技術指導に行ったりする、変な人がいる。その村山邦彦さんは、自分の活動は、社会に向けてだしをだすようなものだ。出しつくした後は自分はだし殻になってるかもね、という。このスタンスってかっこいい。自分たちが何を得るかに執着しない生き方を選び取っていきたい。
坂ノ途中は、なんだかんだで200人近くを雇用するようになっているし、取引農家さんの売上を担っていたりもするので、文字通りだし殻になって経営危機になっちゃうとそれは問題なんだけど、バランスをとりながらじっくりとだしを染み出していきたい。つまりまぁ、鰹だしというより昆布だしというか。

つい先日、宅配サービスを始めて以来ほぼはじめて、価格改定を実施しました。定期宅配の解約をされるお客さまもいたけれど、それは全体の数パーセント程度で、想定していたよりもかなり少なかった。これは本当にありがたいことです。お客さまも、坂ノ途中の長距離走に付き合ってやろう、というスタンスの方が多いのではないかと勝手に想像してうれしくなっています。
23年7月には、坂ノ途中は15期目に入ります。引き続き、扱う野菜も、「激甘!」といったわかりやすい美味しさよりも滋味深さを大事にしたいし、坂ノ途中自体も、わかりにくくても時間がかかっても、ちゃんと意味がある長距離走を続けていこうと思っています。

●小野邦彦

※美味しさを犠牲にせずに収穫量や生産効率をあげていこうという努力を多くの生産者さんがされているわけで、生育早くて生産性高いけれどおいしい、はもちろんあり得る。というかその両立の追及こそがプロの姿勢だったりする。なので、あまり無邪気に「ゆっくり育ったほうがおいしいよ!」とかっていうと怒られちゃいそうなんだけど、もっと素朴なレベルで、植物の摂理としては、栽培技術や栽培手法が同じで、土壌条件や気候も同じだったら、ゆっくり育ったもののほうが滋味深い、というのは言えるのではなかろうか。