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坂ノ途中では、「100年先もつづく、農業を。」とか「未来からの前借り、やめましょう」といったフレーズをよく使います。

農業って、意外かもしれませんがなかなか環境へのネガティブな影響が大きいです──これは現代農業に限りません。このままだと持続可能じゃないですよ。環境負荷の小さい農業、社会にシフトしていきましょう。そんなメッセージです。

そしてそのためには、新しく農業に挑戦する人たちが増えることが大切です。新規で就農する方は、オーガニックやそれに近い農法など、環境負荷の小さい農業を志す方が多いためです。なんだけど、新規で就農した人たちの営農規模は小さく、一般的な流通との相性はかなり悪いです。なので坂ノ途中では、少量不安定な生産でも、品質が高ければまっとうな価格でお客さんのところに届くような仕組みを作ろうとしています。これが坂ノ途中をはじめた動機であり、坂ノ途中の事業目的なわけです。

こんな話をあちこちでしていると、「坂ノ途中さん、応援しています。100年と言わず、ぜひ1000年先を見据えてですね……」といった激励のお言葉を頂戴することがしばしばあります。

激励をいただくのは大変ありがたいです。大変ありがたいので言いにくいのですが、実は励まされながら、「ちょっとちゃうねんなぁ」と思っていたりします(すみません)。なにが違うのかというと、なんだか少し説明が難しい。もちろん普段は「いや、そういう意図ではなくてですね……」なんて水を差すようなことはしないのですが、この機会にがんばって説明を試みてみようと思います。

半栽培

タンザニアをフィールドとしている人類学者八塚春名さんが「ニセゴマ」と名付けたゴマ科の植物の採集風景。とくに熱心に手入れをするわけではないけれど、茎の先端をちぎって採集することで、乾季でも枯死せず脇芽がでてきて、採集できる状態が維持できる。ねばねばを活かして家庭料理につかわれます。 (画像提供:津田塾大学 八塚春名さん)

社会や農業にとって、100年という時間はそれほど長くありません。あるいは、近代以前は長くなかったというべきかもしれません。

たとえば日本では、今から16000年〜3000年ぐらい前の縄文時代にじわじわっと栽培がスタートしたようです。サトイモは縄文時代中期以降に栽培化され、主食級の扱いだったそう。縄文土器に大豆を押し込んだ跡も見つかっています。現代でも節分に大豆の魔を滅する力に期待して私たちは豆まきをしますが、縄文のころから大豆は特別な、呪術的な力を持つものとして捉えられていた気配があります。

僕が小学生や中学生だったころは、農業のはじまりは弥生時代の稲作と教科書には載っていた気がします。もちろん新発見によって教科書が書き換えられるということはしょっちゅうあるし、あって然るべきだと思うのですが、これに関しては新発見の有無にかかわらずイマイチな内容だったと思っています。そもそも野生の採集か、栽培による収穫かの二項対立的な発想自体、現実とだいぶ異なるためです。

野生と栽培のあいだには、半栽培というスタイルがとても幅広く多様に、通文化的に存在しています。野生植物をちょっと手入れするとか移植するとか、栽培しているってほどじゃないけどちょっと気に掛ける、みたいな。

人類学や民族学では、この半栽培を研究テーマにしている方がたくさんいますし、自給的な畑では今でもそういうエリアがごく一般的にありますよね。どういう経緯か茂みに定着したミョウガとこぼれ種で毎年でてくる大葉は、自給的農業を実践している多くのご家庭で冷やしそうめんの具材として定番でしょう。ヨモギやヘビイチゴなどは、ほぼ雑草としての扱いを受けつつ、活用用途があるため他の雑草よりはやや優遇されることもよくあります。

縄文時代は狩猟採集時代、米はナシ。弥生時代は稲作がはじまった時代。こういった形式的な切り分けとそれを暗記させる授業に何の意味があるのか僕にはわからないです。一方で、野生と栽培のあいだに幅広いグラデーションがあり、地域差や文化差もとても大きいということは、人と自然とのかかわり方の多様性をそのまま生き生きと表現しているようで、僕はけっこう半栽培というコンセプトが好きです。

ちなみに、なんだか縄文ブームのなか言い出すのは恥ずかしくもありますが、新潟県十日町市の十日町市博物館は、火焔型土器もたくさん並んでいるし縄文時代の暮らしを再現した凝ったジオラマがあるし、それでいて空いているしでオススメです。「越後妻有交流館キナーレ 明石の湯」という温泉施設も近くにあるのでそちらにもお立ち寄りください。

日本では数千年にわたる半栽培~栽培の歴史があるといえます。
また、縄文時代の焼畑が、日本の黒ボク土壌を育みました──主要因といえるほどの影響があったかどうかは研究者によってスタンスが異なるようです。黒ボク土壌は物理性がよく農家さんに人気があります。新しく就農する人のなかには「黒ボク土で農業がしたかったので、この場所に決めました」という方もいます。つまり数千年前の農業が現代の営農スタイルにまで影響を及ぼしているわけです。

わずか100年

では、環境が損なわれていくペースはどれくらいでしょう。たとえば、人間の営みがどのように環境を破壊していくかを語る際にしばしば代表例のように挙げられる中国の黄土高原(※1)では、植生が失われ土壌流失が起きたり砂漠化が進んだのは数百年から二千年くらいの時間をかけてのようです。

古代ギリシャやメソポタミアも、森林伐採や過剰な灌漑(かんがい)による塩害が文明衰退の一因となったと言われています。自然環境が損なわれていく速度は、やはり数百年~数千年くらいのものでした。

現代に戻ります。坂ノ途中では、森林保全を主目的のひとつとして、「海ノ向こうコーヒー」と名づけてラオスやミャンマーなど、東南アジアの森のなかで育てるコーヒーの品質向上に取り組んでいます。僕はいろいろな国の山奥に出かけますが、山が丸裸にされて、見渡す限り飼料用のトウモロコシ畑になっている様子をミャンマーでもタイでもラオスでも見かけます。1973 年にはミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナム合わせて1億 4000万haあった森林は、2009年には1億haにまで減少しています(参照資料)。現代の森林減少の速度は黄土高原の比ではないのです。とてもじゃないけど1000年なんてスパンじゃない。三十数年で3割失っているのですから。

日本でも鉱山資源由来の化学肥料への依存体質(リン鉱石やカリ鉱石は偏在していて日本では採れません。輸入で賄っています)や、エネルギーの過剰消費(農業って「生産」なイメージですが、エネルギー収支では生産エネルギーよりも消費エネルギーのほうが大きいことが常態化しています)、農村や里山における生物多様性の喪失など、現代農業の危うさを示すトピックはたくさんあります。そしてその危うさの時間軸は、1000年でも、100年でさえもなく、この10年〜50年で大きく変わったと語られる速度なのです。

つまり僕が言いたいのは、1000年とか2000年といった時間軸で農業のあり方や栽培環境は変わってきたのに、このままではたった100年さえ続かないかもしれないですよ、ということです。

むにゃむにゃとしながら

環境問題って、知れば知るほど、現状があまりにも危ういことがわかります。もうどうしようもないのかもしれない。けれど、「せめて」100年くらいは続けられるようにしませんかというのが、「100年先もつづく、農業を。」に僕が込めている思いです。

だけど、100年を長い時間の例示と受け取って、「100年先もつづく」を、「ずっとずっと永くつづく」と解釈してくださる方も多く、それが、「100年といわず1000年も……」という言葉につながるのだと思います。

もちろん、そう受け取るのが自然な気もします。あ、ここでいう「自然」は都市生活的な時間の流れでいう自然、一般的という意味で、自然環境が変化していく時間の流れでいうと不自然といえます(ややこしい)。そんなわけで、けっきょく僕がひねくれているせいでこんな言葉を選んでしまってねじれが生まれているのだけど、かといって、「せめて100年先もつづく、農業を。」だと締まらないので、やっぱりこれからも「100年先もつづく、農業を。」と言い続けようと思います。

この100年は、都市が人を惹きつけすぎたということが言えると思います。工業化と都市化により発明された大量生産・大量消費というスタイルが、農業にも持ち込まれた。工業の世界でのインプットアウトプットのロジックが、農業にも援用され、生態系サービスに依拠しない農業体系が出来上がっていった。けれども今、なんかそれって違うよね、たぶん。ようわからんけど。という雰囲気というか霞のようなものが、斑(まだら)に社会に広がっている。緩やかに不確かに、むにゃむにゃとしながら、都市という夢から少しずつ僕たちは覚めつつある。坂ノ途中では、朝を告げる鳥のような役割を微力ながら果たしていきたいと思っています。

●小野邦彦

※1 植生減少の主要因は寒冷化や乾燥化などの気候変動だという反論もあります。人為要因と自然要因は常に密に結合しているので、何割が人為的と言い切るのは難しいようです。あわせて、砂漠化や土壌流失がどんどん有名になった結果(?)、90年代以降さまざまな緑化プロジェクトが立ち上がり一部地域では農業が再び可能になるなど成果も生まれています。