vol.001
ひさしぶりにあう人に、「まだそれに乗ってるん!?」と驚かれることがあります。
ハタチのころから、ずーっと同じ原付に乗っています。ホンダのジョルカブ、色は赤。数年間しか生産されなかったのでたぶん人気がなかったのだろうと思うのだけど、僕は気に入っています。
そもそもは高校の同級生のノブが、スーパーと宅配ずしのバイトで貯めたお金で16歳のときに買ったやつです。ちなみにそのころ僕は、兄の原付を無断借用しつづけ、そして盗難に遭い怒られるなどしていました。
お互い京都の大学に進学し、ノブが家賃が払えず、ギターマンドリン部の部室に住みついていたときに3万円で買い取ってから17年ほど、乗りつづけています。いまではすっかり、いや、いまよりだいぶ前からボロボロです。某高級料理旅館にお招きいただいた際にこの原付で伺ったら、アルバイトの面接と間違えられて「お客さんのところに停めたらあかんやろ!」とけっこう怒られました(その後しっかり謝られました)。
京都の最北端まで行ったり、奈良の吉野を超えて和歌山の新宮まで行ったり、ずいぶん遠出もしました。燃費がとてもよくて、今でもリッター40kmくらい走ります。
去年、うちの農場スタッフのますおさんに「小野さんのバイク、いい色になっていますね」と言われました。ますおさんは年季の入ったものが好きなおもろい人です。
僕は、いろいろなものの経年変化がけっこう好きです。八百屋「坂ノ途中 soil」の板張りの床は時を経てよい風合いになったと思う。野菜もそう。ジャガイモが柔らかくなっても品質劣化とは捉えない。おおー、いよいよでんぷんの糖化が進んでるなー、しっとり甘いやろな―、と思う。なのに、なぜか自分の原付はそんなふうに見ていなかった。愛着はあるんだけど、誇る気にはならなかった。まわりからみたらただのボロボロのバイクなんだろうな、と思っていた。
これってちょっと不思議だ。この差は何なんだろう。素材の違い? 木材や皮などの経年変化を味わう感性を持っている一方で、プラスチック素材や工業製品を見る目は、新品が良い、キレイなものほど良いという平板なものになってしまっていたのか。僕は行き過ぎたハンドメイド礼賛主義者なのだろうか。
いや、ちょっとちゃうな、そんなことはない。どちらかというと距離が近すぎて良さに気づかなかったということなんじゃないか。実家とか地元ってそんな感じじゃないですか? 他者からの目線で、「いいところですねー」と言われて、良さに気づく。そういえば、観光ってそういう力をもっています(もちろん観光公害というようなネガティブな要素もあるのだけれど)。
僕は学生時代に文化人類学という学問を専攻していたのだけれど、観光人類学という分野では、観光という手段により他者からの目線が入ることで、自文化を誇るようになったり保全するようになったといった事例がたくさん出てきます。インドネシアのバリで伝統文化が再構築されていく様子とか。
僕にとって、ますおさんの「いい色になっていますね」は、観光による価値の再発見のような力を持っていた。身近過ぎて価値に気づかなかったものを見直すきっかけというか。言われてみたら色褪せた赤色がかっちょよく見えてくる。なんならカバーの割れだって非対称性を生み出し絶妙なバランスとなっている気もする。
もう20年ちかく付き合っているのに、知らなかった。そうかお前、「いい色」になってたのか。これからもどうぞよろしく。
ところで坂ノ途中では、「坂ノ途中の編集室」をスタートしました。いろいろな人がいろいろなことを書いていきます。
あらゆるものは変化していきます。それぞれに、味わい方がきっとある。ちょっとした一言や一文で、がらっと見え方が変わることもあるし救われることもある。そういった気づきや発見、面白さを大切にしたい。
僕は、「フィールドノート」というタイトルで、リアルなフィールドにいるからこその内容を書き留めていきたいと思っています。隔週~毎月くらいのペースでやっていこうと思います。いつまでつづけられるかわからないけれど。
●小野邦彦