濃い、青々とした草木と、土の匂いにつつまれる。はじめて訪れたやまのあいだファームに、ときおり、雲雀の囀りが空気をちいさく突くように響く。あたりを見まわしても、ぽつりぽつりと背のひくい民家が目に入るだけのここなら、夜、きっと、満天の星を眺められるだろう。
生まれ育った土地の匂いや風景も、こういうものだった。

私の実家は、中国地方の農家で、子ども時代は、ビニールハウスや田んぼを遊び場にしてすごした。そんな環境のせいだったからなのか、植物や土いじりが好きで、おもしろくて、小学校の低学年のころには、見よう見まねで、畑のようなものをつくって遊んでいたのを憶えている。
農業がすっかり遠いものになったのは、高校進学を機に家をでてからだった。土曜も日曜も働きづめで、ときには草むしりで一日がおわってしまうような生活をしている祖父母のすがたを知っていたから、私の畑は遊びの範囲でじゅうぶんだった。将来、実家に戻ったとしても、農家になることはない、そう思っていた。

そうして二十年がすぎた。
祖父母から家と田畑を受け継いだ父と母も、まだ先とはいえ、やがては老いていく。私はこれからどうすればいいのだろう。
考えても答えは見つからず、とりあえずの結論は、畑仕事をちょっとだけ、ためしにやってみようというものだった。手伝いでさえ辛いようなら、あとを継ぐなんてとても無理だと決断をくだすことができる。機会を見つけては帰省し、農作業の手伝いをはじめた。
身体はすぐに音を上げた。なにかをするたびに汗だらけ、泥だらけになり、あちこちの筋肉に痛みが押しよせて、それが静まる間もなかった。けれども、その一方で、小学生のころ、朝、茄子や胡瓜を収穫している祖父に見送られてラジオ体操に向ったこと、稲刈りがおわったあとの田んぼでつくってもらって食べた焼き芋のことなど、まるで古いアルバムを捲るように、この田んぼと畑でのいろいろな出来事が頭にうかんできた。
もし、耕すことをやめてしまえば、そんな思い出は消えてなくなるかもしれない。新しい思い出をくわえていくこともできなくなる。
それは寂しいな……家を出て、時間を経たことで、この田畑を残したい理由を私は見つけた。

やまあいで、泥だらけになった自分の手を眺めていると、祖父母の手を思い出す。ながいあいだの農作業の証しとでもいうのか、祖父の手も、祖母の手も、ごつごつと節くれだち、土の色が滲み込んだように日に焼けていた。歳をとってからは、指の曲げ伸ばしにも苦労をしていたが、祖父母のその手は、はたらき者の手と呼ばれていた。私の手も、少しだけ、似てきたような気がする。

●ともひろ