やまのあいだファームへ、車でむかう、その途次に、ぽつりぽつりとさくらを見かけます。車窓の一面にひろがる田んぼや畑のなかにポツンと、遠くにかすんで見える山には、ところどころにうすいピンク色のかたまり。あんなところにさくらがあったんだ、とついつい目を奪われます。
南丹市の、廃校になった小学校の一部を借りて、やまあいのお野菜の出荷作業をしています。校庭のすみに、運搬につかう軽トラックを停める場所があり、そのとなりには一本のさくらの樹。
あちこちに傷や錆のある軽トラックは、二十年ほど前のもので、いつも土だらけの野菜や畑仕事の道具をいっぱいに積んで、勇ましく、畑の脇のでこぼこの細い農道を走っているので、すこしくたびれています。そんな軽トラが、廃校になったけれど、いまも花を咲かせるさくらの樹とならんでいる光景は、どこか、おたがいに寄り添っているようにも見えます。
どうしてさくらは、四月に、葉をしげらせるよりさきに、花を咲かせるのでしょう。
さくらを眺めては、いつもあたまのなかでぼんやりとつぶやいています。
悶えるようにまがった枝に、つぼみがひらき、淡いピンクの花がいっぱいになるようすに私は心をうたれます。さくらの花は、卒業や入学といった、あたらしい世界へ歩みはじめる、そして、ふるい世界にわかれを告げる合図のようです。それだからか、満開のさくらからエールを受けとる人も、私だけでなく、きっといるはず。
もしも、さくらの新芽が花よりさきにでていたら、世界はちょっと味気ないものになるのかもしれません。
さくらの花が咲き、散るまでの数日のあいだはとっておきの時間です。さくらが、どうして花をさきに咲かせるのか、その理由はしらないままでもいい、そんな気がします。
●むらた
※京都のさくらは、花も散り、すっかり葉桜になりました。季節は初夏へとすすみ、やまあいでは秋に植えたソラマメが白い花を咲かせています。もうすぐ、ぷりぷりのソラマメの実が。おとどけまで、もうしばらくお待ちください。