実家にも稲刈りのときがやって来た。初夏に田植えをした苗が、おおきく育って稲穂をふくらませ、収穫となる。でも、私は稲刈りをしたことが、たぶん、ない。田植えとちがって、機械や鎌という刃物を使うので、子どもの私は遠ざけられていたのかもしれない。稲が刈り取られたあとの田んぼを遊び場にして、走り回っていた記憶はたっぷりあるのだけれど。

稲刈りは、稲の穂が出る出穂からかぞえて四十日から四十五日後。もしくは、出穂してからの、毎日の平均気温を足した数字が千をこえたとき。そして、籾の黄化が全体の八十から九十パーセントになったとき。一般的にはそういわれる。
父は、稲穂の垂れ具合と黄化を見て決めているという(台風が来そうだから、そのまえに刈り取る、ということもあるらしいが)。タイミングが早いと未成熟な米になるし、遅いと食味や色が悪いものになってしまう。あたりまえだけれど、刈り取ってしまうと、あとはどうにもならない。田植えから収穫まで、生育の早い品種でも約三か月、我が家の場合は四か月、手間ひまをかけて育ててきて、やっと収穫というときに失敗はできない。

九月末、いよいよと意気込んでいたものの、私の稲刈りは来年に持ち越しになってしまった。帰省の時期がすこし早かったようだ。京都にもどると、しばらくして、出來は悪くない、新米はつやつやに光っているよと、母がうれしそうな声で電話をくれた。
荷物がとどいたのは、それから数日がすぎて。ダンボールいっぱいに、かぼちゃ、里芋、生落花生、さつまいも、しいたけなどが詰められている。いちばん奥底に新米。母の言うとおり、真っ白で、ぴかぴかとしていた。さっそく研いで、鍋で炊いた。

いきさつはまえに書いたけれど(vol.135・祖父母の手)、農業という仕事・暮らしに足を踏み入れようと決めてから、あっという間の一年だった。なにかを達成したというわけではないが、このさつまいもは苗を両親と植えたもの、このすだちは剪定や草取りを何度もしたもの、このしいたけは父と一緒に駒打ち(原木にしいたけ菌を植え付ける作業)をしたもの、そんなふうに野菜をながめることができるようになった。夏は、両親が、私がはじめて漬けた梅シロップを、熱中症予防のために飲んでいたらしく、すこし力になれたようで嬉しかった。そんな経験が、私の一年の収穫。あせらず、一歩ずつ、そう思いながら、新米のひと粒、ひと粒を噛みしめる。

稲刈りがすっかりおわって、田んぼが子どもの遊び場へと変わるころ、かやねずみの小さな巣がたくさんあったよと母から聞いた。かやねずみは。いなごなどの虫が主食らしく、稲はほとんど食べないという。我が家の田んぼには、そんないきものも住んでいたのか。来年こそは稲刈りをして、そのちいさな巣を見てみたい。

●ともひろ


かやねずみの巣はとてもかわいらしい。これは、ずいぶん前にやまのあいだファームでますおさんが見つけたもの