「べじたぶるぱーくは公園をイメージして名づけたんです」
 植田歩さんは笑いながら言った。少し照れているみたいだった。
「ここで畑をはじめたとき、すごく楽しかったので」
 大阪府の最北端、能勢町の山あい。べじたぶるぱーく・植田さんの畑は、あちらこちらの飛び地に点在していた。それぞれの圃場には「ナウシカ」とか「ぜにがた」とか「もののけ」とかの名前が付けられていて、植田さんはそれらを行ったり来たり。
「さあ、農業をはじめよう、仕事をしようというふうではなかったんです。家庭菜園の延長のような気分でした。
 アルバイトをしながら、冬は炭焼きをしたり……農業らしい農業はしていないですね。農業を成り立たせなあかんという気持ちもなかった。逆に、アルバイトしながら農業やってなにが悪いねん、くらいの感じですよ。楽しくやってた。
 それが3年目くらいに結婚して、子どもも生まれることになって、そろそろ真面目にせなあかんかな、みたいな。28、9歳の頃です」

少しずつ農家になる

「ラピュタ」と呼んでいる圃場の近くで。天空の、とまではいかないけれど、小さな山を登っていった高いところにあった

「生まれは奈良です。18歳で滋賀の大学に進学しました。
 実家を出たかったのが進学のいちばんの動機です。ただ、留年したこともあって大学は2年でやめてしまいました。そこからはフリーター。
 親がサラリーマンで、僕はそうなりたくないなと思っていたんですよ。自分でお店とかしたかったから大学は経営学部に行ったんですけど、勉強、つまんなかったんです。マネージメント論とか、聞いてても全然面白くないし。
 それよりアルバイト、居酒屋とかお店で働く方が楽しかった。でも、それも1年もすると飽きてくる。そろそろなにかしたいなと思ったけれどやりたいことがない。なんのために生きていけばいいのか、目標もなにもないというか。
 それで、時間だけはあったから、小豆島にお遍路に行ってみたんです。小さな島を巡っているとき、宿泊先で食べた玄米がすごく美味しかったんです。それで食べ物に興味を持ったんです。自給自足のような暮らしがあることにも気づいた。

 とりあえずお金を稼いでおこうと思って、佐川急便のドライバーとして働くようになりました。それからしばらくして週末だけの家庭菜園をはじめたんです。
 はじめはプランターですよ。でも1年もすると、もっとこうしたい、プランターでは無理、自己流でやるのは限界がある、みたいになってきて、教えてもらえるところを探して研修に行ったんです。それが能勢だったんですけど。
 教えてくれた人は、昔ながらの有機農家の方で、「農業は簡単や」って言うんですね。「お金なんかいらない、鍬1本あったらできる」みたいに。そんなわけないやんっていう話なんですけどね。
 最初は週に1日ペースで通っていました。3か月くらい経って、仕事を辞めて引っ越してきて、それからは毎日。
 これを仕事にできたらいいなと思いました。自営業だし面白いし……若くて独り身だったから、失敗したら今度はクロネコヤマトのドライバーでもいいかな、くらいの感じです。
 奥さんとは、その研修のときに出会ったんですよ。どっちかというと、僕よりも農業をしたい人です。WWOOF(農業体験と交流のNGO)で、オーストラリアとか九州の方とかよく行ってた人。今は子どもがいて、なかなか畑には出られないので、ジャムとかの加工品をつくる方をやっているんですけど」

手押しの耕運機が楽しい

育てているお野菜は60種類以上。お野菜の少なくなる端境期も、なんとか種類を確保するようにしている

「有機野菜というものがあることを知ったのは、小豆島から帰ってきて、食べ物のことを調べているときです。
 僕はもともとアレルギーがあって肌が弱かったりすることもあるんですが、自分で野菜を育てるなら農薬とか使いたくないなと思った。まあ、使わざるを得ないところがあるのはわかるんですが、できれば使わない方がいいなと。
 野菜はそういう方向で育てていますけど、そのぶん、農薬や肥料の力もわかる。いずれは体力も落ちてくるし、マンパワーだけでは畑仕事は無理になるので試行錯誤はしてみた方がいいかなとは思っています。
 悩みどころもあるんですよ。たとえば草取りって、手で引っこ抜いていく代わりにマルチっていう黒いビニールの防草シートを張るんです。畑、真っ黒になって、奥さんがそれを見て、これ、なんなん? みたいな話になるんです。キッチンガーデンをイメージしてたのに、全然ちゃうやんっていう。
 農業って、ある程度は生産性とか効率が必要になりますよね。だけどもともとは自給自足の畑をしたかった自分からすると、それはかなり反している部分がある。農業をするためにどんどんモノが増えていくので、なにをやってるんやろうなって感じたりもするんです。やっぱりトラクターに乗るよりも、手押しの耕運機の方が楽しいんですよ。時間はかかるけど、やった感はある」

ライブ! 顔が見える関係を

古民家を出荷の作業場にしている。奥の建物ではジャムなどの加工品をつくっている

「60種類くらいの野菜を育ててると言ってますけど、もっとあるかもしれないです。面倒臭いんで数えてない。
 うちでも坂ノ途中さんみたいに野菜セットを組んで届けているので、根菜とか葉物とかバランスの良いセットにしようとすると、ある程度の種類が必要になるんです。
 人手もそうです。野菜の数のこともあるし、農業したいっていう人を受け入れたり、SNSで発信するとか、ひとりではできない。自給自足の農業ならべつですけど、やりたいことをやるためには、坂ノ途中さんのような、共感や理解のあるところと手を取り合うことも必要だと思っています。

 坂ノ途中さんも一緒だと思うんですけど、1個1個の野菜より、全体を捉えてほしいなと思うんです。
 野菜には旬があるじゃないですか。今のこの野菜は旬の盛りではない、旬の名残りというときもある。それを、こだわりの蕎麦屋のガンコ親父みたいに、食べさせへんっていう人もいるかもしれないけど、僕は、べつにそこまでしなくてもって思うんです。
 旬の盛りを知ってもらって名残りの味もわかってほしい。直接お客さんに手渡しして、そんな話もする。お互いが顔を合わせる関係がすごく大事だし、そうだからできることだと思います。坂ノ途中さんもそうですよね? ライブ感っていうんですかね。それをすごく大事にしています。

 僕という人間が、こういう気持ちで、こんな畑で、こんなふうに育てましたっていうところを知ってもらえたら、美味しいなあと感じてもらえるかなと思います。僕もそのくらいの味の違いしかわからへん。野菜育てた人のこと、料理作ってくれた人のこと知ってたら、ちゃんと食べようって思うじゃないですか」

※べじたぶるぱーくさんのホームページ
https://vegetablepark.com