「ずっと服屋をやると思っていました」
 笑いながら、市原恵美子さんはそう言った。
「今のような暮らしは想像していなかったんです」
 不思議そうな様子に見えた。
「親友の夫婦が田舎で自給自足みたいな暮らしをはじめて、それを間近で見て、私たちもそんな暮らしがしてみたいなと思いました。それで、京北(京都市の北東部)という土地に巡り逢って」
 恵美子さんは言った。
「でも、そのときは服屋が生業だし……まさか農家になるとは思ってもいなかった」

夢だった家にめぐり逢う

タペストリーやドライフラワーなど、服屋さん時代の名残りのアイテムが飾られたリビング。居心地のいいカフェのよう

「京都市役所のすぐ近くで、ふたりでお店をやっていたんです。古着やアクセサリーの。
 私は18からアメ村の古着屋で働いたり、とにかく服が大好きだったから、好きなことを商売にしたいと思って結婚してすぐにふたりで店をはじめたんです。京北に引っ越してからも、1時間かけて店に通っていて。
 そのころは、今のこの家の近くの借家に住んでいて、小さい畑がついていたんですね。自分たちが食べるものを自分で育ててみたい、息子に安心安全な野菜を食べさせたい、そんな気持ちがあって、父ちゃん(夫の正隆さん)が野菜を育てはじめたんです。
それで、3年目くらいだったと思いますけど、飲食店の友だちから、野菜買うよ、一回持って来てよ、なんて言われはじめて、だんだんと父ちゃんのなかで農業を本業にしたいという気持ちが強くなっていったんです。
 服屋の仕事が終わって夜の10時くらいに帰宅して、すぐにヘッドライトを点けて、真っ暗ななか、キャベツについた害虫を取りに畑に行ったりする。怪しいっていうので、村のお巡りさんになにしてるんですか、と注意されたり。
 野菜のことが気になって心配で畑に向かう姿を見てたら、止められないなぁと思いました。ちょうどあと1年で服屋が10年になるから、そこを区切りに農業を本業にしよう! とふたりで話し合って決断しました。私が大好きだった服屋という仕事に10年以上付き合ってもらった、じゃあ次は父ちゃんの好きなことをする、そんな10年にしようって。
 なんの目処も立ってない、生活できるだけの売り上げもない。お金どころか道具も機械も何もないところからはじめました。それでも、どうしてもやりたい、野菜を育てたい、美味しい野菜を食べてもらいたい、そんな気持ちでつづけたことで、取り扱ってくれる飲食店さん、八百屋さん、お客さまも増えてきた。農業に携わったことで、ずっと夢だった薪ストーブのあるこの家にも巡り逢えた。今は農家という暮らしがとても嬉しいです」

農家になると思っていなかった

「おとうちゃん、土遊びするから、土ちょうだい」ちっちゃい娘にそう言われて、気兼ねなく遊ばせることができるような土や畑だといいなと思っていますと正隆さんは言った

「僕はほんとうに畑に入り浸りというか」
 少し恥ずかしそうに市原正隆さんはそう言った。
 どうしてそんなことになっちゃったんですかと訊ねると、正隆さんはゆっくりと口をひらいた。
「大阪の端っこの田舎で、木登りしたり自然に囲まれて育ったので、田舎が肌に合ったんだと思います。大学では美術をやっていて、ものづくりが好きだというのもあるのかもしれないですけど……」
 間をおいて、正隆さんはつけくわえた。
「でも、まさか農家になるとは思っていなかったです」

土の上、空の下でいつまでも

家族が食べる野菜をつくることがスタートだった。あまりにも美味しい野菜の数々がランチのプレートに並ぶ。ちなみにスナップエンドウは取り合いになるそうです

「京北に来た最初は家の横の一畝(30坪)くらいの小さな畑を趣味でやっていたんですけど、もっと野菜を育てたくて、物足りなくなって、2年目に一反(300坪)の畑を借りたんです。
 畑をはじめた頃は自然農や不耕起栽培を試していて、山から落ち葉を集めてきて撒いたり、剪定屑を粉砕して堆肥をつくったりしていました。木屑や葉っぱが発酵して、菌が増えて、それが土をつくって、その生命のコロニーと一体化して野菜が育っていくのがものすごく面白かった。命のリアルを見ているような気がしたんです。
 もちろんそのときはアマチュア農家です。農業は誰にも教わってないし、研修にも行ってない。本を読んだり、ネットで調べたりの独学です。
 そうして野菜を育てていくうちに、友人たちが野菜を買ってくれるようになりました。そうなってくると、もっともっと栽培のことを知りたい、追求したいと思う。だけど服屋という仕事の傍らでは限界がある。畑に没頭するには農業のプロになるしかない。
 ものづくりが好きって言いましたけど、野菜づくりっていう言葉にはピンと来ないんです。野菜は育つものだから。そのコントロールしきれないところが面白い。野菜だけを見てても駄目だし、土だけを見てても駄目だし、天候ともシンクロして、その調和がうまく合わさったときに、ぞわぞわっとくる。うわあ、こんなふうに育つんだ、みたいな。それは、ものすごく気持ちのいい瞬間です。
 屋号の天土(あまつち)オルガニカは調和という意味を込めて名付けました。オルガニカはオーガニックのスペイン語なんですけど、天土は天の恵みと土の恵みを活かしたいという想いから。土に根を張って、枝葉を天に伸ばす、天と土の交流。天土のロゴマークは、活性、調和、循環をイメージして、自分でデザインしたんです。
 よく思うんですが、ものづくりは100を求められるけれど、野菜は8割できたら上々、6割で並、4割切ったら失敗くらいの感覚なんです。自然相手のもので100は無理だし、すべてをコントロールして100できてしまう農業って怖いなと思います。
 農業をはじめて10年以上が過ぎましたけど、嫁さんが服に、僕が農業に出会ったように、この先、なにかべつのことに出会うかもしれない。でも、畑はやめないと思います。死ぬまでやりたいものに出会えてよかったなという想いがあります。最後は畑で突っ伏して死にたいというか(笑)だから、一生、畑ができるような自然環境であってほしいなと思います。20年後、30年後、工場栽培の野菜しかつくれない世界というのは嫌だから。土の上で、空の下でいつまでも畑ができる世界がつづくことが僕の願いです」