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ケーキ屋さんになりたい。小学生のころの夢、私はケーキづくりに一所懸命に励んでいました。
でも、ときどき母がお店で買ってきてくれるケーキを食べていると、世の中にはとても美味しいケーキをつくる人がたくさんいることに気づきます。
これ以上に美味しいケーキってあるんだろうか。
もしもあったとしても、これよりほんの少し美味しいくらい。
私にはここまで美しくて美味しいケーキは作れないんじゃないか。
プロのパティシエがつくったケーキを幸せな気持ちで食べながら、私は自分の夢をゆっくりと見失っていきました。

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美味しい食べ物はいくらでもある。
そして、美味しさにはきっと上限のようなものがある。
大人になった私は、美味しさを追求するという行為に価値を感じられなかった。
少し考えが変わったのは、海ノ向こうコーヒー(坂ノ途中のコーヒー事業部)で、豆の買い付けのためにミャンマー・ユアンガン地域を訪れたとき。
コーヒーのバイヤーはカッピングという方法でテイスティングをして、100点満点でスコアを付けてコーヒー豆を評価します。
75点と80点の違いにどれほどの意味があるのだろう。そんなことを思いながら産地を訪れた私は、反省を促されることになりました。

これまでとは違うコーヒーの風味を楽しんでほしい。発酵の時間を少し変えてみる、虫喰いで傷んだ豆をひとつひとつ丁寧に取り除いて透き通った味わいをつくる。
そこにはコーヒーづくりに携わる多くの人たちの想い、努力、技術が込められていました。
そんなふうに生まれる味わいをしっかりと受け止めたい。
美味しさというものは、たしかに存在している。そうして私もカッピングに取り組むようになりました。

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いつ、どこで、どういうふうに、なにを食べる?
美味しさは、その食事が抱えている背景によって大きく変化します。
以前に、このコラムのvol.06(「食べるとはどういうことか 世界の見方が変わる三つの質問」を読んで )に書いた「誕生日にお母さんが作ってくれたグラタン」のように、食べものに付随する情報が味覚を左右する。
食品化学者の龍谷大学の伏木亨教授は、美味しさは栄養素を適切に吸収するための生理的欲求、馴染みのある味に安心感を覚えるといった食文化、油脂が持つ病みつき感、そして情報、その4つの要素で構成されているといいます。
美味しさというものが、人が生理的に感じ取ることのできる食味だけで成立しているわけではないことは、科学者の目から見ても明らかなようです。

1980年代に、分子ガストロノミーという言葉に代表されるような、科学的な手法で新しい美味しい料理を生みだすという試みがはじまりました。

分子という言葉は、物理学、化学、生物学、工学などといった科学的視点を意図しており、科学的な手法によって、新しい料理を想像しようとする取り組みから名づけられました” (「食べること」の進化史 培養肉・昆虫食・3Dフードプリンタ/石川真一著 光文社新書)p.67

食材を泡にするエスプーマをはじめ、従来の料理の枠にとらわれない調理で知られるスペインのレストラン「エル・ブリ」、日本では京都の料亭「菊乃井」の村田吉弘氏など、料理界の達人たちも、分子ガストロノミーに目を向けています。

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科学で美味しさをつくる。
焼く、煮る、切る、混ぜる──食材の状態を変化させるという意味では、これまでの料理も科学として捉えることができますが、でも、それは食材ありきではじまるもの。分子ガストロノミーの考え方をもちいると、コンセプトから料理が生みだされることもあるようです──近頃では味をどう感じるかという脳科学も取り入れようとしている──。
食味だけを追求するなら、実験室の化学反応から美味しいコーヒー(のようなもの)を再現できる。
どこか寂しく感じてしまいます。

それはおそらく、食べものの背景が失われてしまうからかもしれません。その食べものの持つ物語──誕生日にお母さんが作ってくれたグラタンのような──、そして、アルゴリズムからは生まれないなにか、アートと呼べる部分が欠けている。
コーヒー農家の人たちが、収穫したコーヒーの真っ赤な実を愛おしそうに眺めている写真を見て、私はそう思いました。
食味は科学で再現が可能だけれど、美味しさは科学でつくることができないのではないか。

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美味しさにたどり着く道のりはたくさんあっていい。その行程が美味しさをかたちづくることがほとんどだから。
世界にはいろいろなケーキ屋さんがあるからいいんだよ。私は、子どもの私に言ってあげたい気持ちです。

●石川 凜