「有機農業」という言葉が日本で使われるようになったのはいつからでしょうか。
日本でも伝統的に牛ふんなどの堆肥を使って農業を営んできたことを考えると、江戸時代くらい、いやもっと前から使われてきた言葉なんじゃないか……と私は思っていました。

実は、はじめてこの言葉が使われたのは1971年、日本有機農業研究会という組織の誕生とときを同じくしています。
100年ちょっと前までは、化学的に合成された肥料や農薬は使われていませんでした。そもそも存在しなかった。農業はすべて有機農業だったと言えるかもしれません。有機農業ではない農業が生まれたことで、私たちは「有機農業」という言葉を使うようになったのです。

20世紀初頭から「農業の工業化」と呼ばれる現象が進みました。
毒ガス、戦車、飛行機などの兵器が登場した1914年の第一次世界大戦時の軍事技術から、多くの殺虫剤や除草剤、化学肥料などが開発されたというのは有名な話かもしれません。 日本では、明治の末期に化学肥料の使用がはじまり、大正時代に入った1920年代に化学合成農薬も使われはじめました。第二次世界大戦が終った1950年代には、どちらも広く使われるようになりました。
化学、機械、土木といった工学技術の発展にともなって生まれた化学合成農薬や化学肥料、大型の農業機械、高度な灌漑設備といった近代的な農業技術は、農業の生産性を飛躍的に高めました。

農業の工業化を支えた学説のひとつに、19世紀のイギリスの経済学者マルサスが唱えた人口論があります。
マルサスは、飢えとは人口増加と食料生産力との間の不均衡であり、その解決策は食料の生産を大幅に増やすことにあると説きました。これが、食料を「より多く」つくることこそが、農業にとってもっとも必要なことだという思考の土台となりました。
学生時代に受けた農学部の授業で、「増えつづける人類に、食料を持続的に供給することが農学の使命である」と先生が言っていたのを覚えています。マルサスの人口論は、農業の発展を支える根本的な考え方として今も浸透しているのです。

けれども、20世紀の後半になって、農業の工業化によってさまざまな問題が引き起こされていることが知られるようになりました。1962年にアメリカで発表されたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』は、DDTなどの農薬が生態系に及ぼしている影響について警鐘を鳴らし、世界に大きなショックを与えました。日本では朝日新聞誌上で1974年から1975年にかけて有吉佐和子の『複合汚染』が連載され、化学肥料や除草剤などの化学物質による環境汚染と健康被害について、人々は強い不安を抱くことになりました

今とは違う農業のあり方をーーそうして消費者と生産者の市民運動としてはじまったのが、「有機農業運動」です。冒頭で触れた日本有機農業研究会も、危機感をもった医学者、農学者、協同組合関係者、市民団体などによって結成された組織でした。
「有機農業」「オーガニック」という言葉には、なにか優しげな響きがありますが、そのはじまりは農業の工業化に異を唱える社会運動だったのです。

その当時、有機農産物は店舗で購入することができませんでした。そこで、消費者たちはグループをつくって生産者と直接つながり、提携というかたちで有機農産物を入手していました。ときが経つにつれ、有機農産物を専門に扱う自然食品店などが少しずつあらわれ、徐々に百貨店やスーパーマーケットなど、さまざまな場所に有機農産物が並ぶようになりました。
課題も生まれました。たとえば、流通の経路が多様になったことによる、「有機栽培」「減農薬」「低農薬」「微生物農法」など、さまざまな表示の氾濫。明確な栽培基準や表示のルールが求められるようになり、2000年頃から有機JASの認証制度をはじめとした法整備が進みました。

2006年に制定された有機農業推進法では、有機農業は以下のように定義されています。

「有機農業」とは、化学的に合成された肥料及び農薬を使用しないこと並びに遺伝子組換え技術を利用しないことを基本として、農業生産に由来する環境への負荷をできる限り低減した農業生産の方法を用いて行われる農業をいう。

ここには、農業の規模や地域、農家さんと消費者の関係、味、健康、栄養、安全性などに関する直接的な記述はありません。

いま、農業は数々の問題に直面しています。
気候変動の影響による農地の減少、
水や化学肥料の原料などの資源の枯渇、
農家の高齢化と農家数の減少、農村の衰退、
こうした問題を解決するには、単に化学合成農薬や化学肥料、遺伝子組み換え技術を使わない農業を目指すだけでは不十分です。
「さまざまなこと」を大切にできるしなやかな農業を目指す。
その考え方が広まることこそが、農業を次の時代に進めるのかもしれないと私は思います。

12月8日は有機農業の日。有機農業推進法が成立した日です。
近年は「アグロエコロジー」「環境再生型農業」など、有機農業以外にもいろいろな視点からこれからあるべき農業のかたちが模索されています。
農業は、これからどうなっていくべきでしょうか。
そして、それはどうすれば実現できるのでしょうか。
そんなことをみなさんと一緒に考えていけたらうれしいです。

●石川凜