vol.5

3年前の秋、アメリカ・オレゴン州の北部、ポートランドの市街地から電車とバスを1時間半ほど乗り継いだところにある小さな農場に10日ほど滞在しました。その農場には、牛や豚をはじめ、ヤギやウサギ、ラマなどいろいろな動物がのびのびと暮らしていました。

滞在も後半に差し掛かったころ。農場に滞在している人たちのなかでも若くて血気盛んなコリンに「今日は牛を潰すけど一緒に解体するかい?」と訊かれました。少しためらいましたが、私は「うん」と頷きました。「じゃあ、汚れていい服装に着替えておいで」
農場で飼っていた牛は2頭。今日は歳をとった方を潰すのだと言います。昨日まで可愛がっていた牛。突然のことに私はドキドキしていました。

着替えて外に出ると、コリンともう一人、ジェイディーという農場の仲間が銃を持って待っていました。本物の銃を手にした人を見るのははじめて。でも、私が戸惑っているのも気にせず、コリンが柵を開き牛を連れ出します。ひらけた場所に到着すると、少し離れた場所からジェイディーが発砲しました。バーンという音が森に響き、大きな体が地面に倒れます。「おいで」そう言われ、私は恐る恐る近づいてみました。牛は大きな目を見開いたまま、まだわずかに動いているようでした。

ジェイディーは慣れた手つきで首の部分を切って血を抜いていきます。ナイフを手渡された私はおそるおそる牛の体に触れると、その温かさに少したじろぎました。でも、黙々と作業を進める二人の横で、私も働かないわけにはいきません。見よう見まねで全身の皮を剥がし、各部位ごとに肉を切り出していきます。
もう一頭の牛は、私たちが牛の体にナイフを入れていくのを、ピクリとも動かず、大きな瞳でじっと見つめていました。
無心でひたすらナイフを動かし、解体が終わるまで3時間ほどかかったでしょうか。ようやく各部位にわかれた肉は、吊るしたり、ボウルに入れたりして置いておきます。

その後の数日間にわたって、ステーキ、シチュー、炒めものと、いろんな料理で肉を食べました。農場を動き回り草を食べて育った牛の肉は、しっかりした歯ごたえがありました。農場のみんなと一緒だったからか、私は自然とその肉を食べていました。少し前まで農場にいたあの牛の肉なんだ、という自覚はありましたが、「かわいそう」という感情は不思議とあまり湧いてきませんでした。

今でも、こちらを見つめていたもう一頭の眼差しを思い出すことがあります。あの牛は、私たちのことをどう見ていたのでしょうか。実はとても残虐なことをしてしまったのかもしれない、やはり肉食は悪いことなのだろうか、でも動物を殺して肉を食べるのは自然の営みではないのか……。私はいつも答えを見つけられないまま、ぐるぐると考えをめぐらせます。

肉食の善悪について考えるとき、よく使われる考えかたに「功利主義」があります。「最大多数の最大幸福」というように、結果として多くの幸福や利益がうまれる行動や制度の方が望ましいとする考えかたです。
哲学者のピーター・シンガーさんは『動物の解放』という本で、功利主義の立場から肉食を激しく批判しました。動物が感じる苦しみや痛みは人間のそれと同じように配慮されるべきで、多くの動物の苦痛を生む肉食は道徳的に正しくないことだと。
功利主義の立場でも、肉食を肯定する意見もあります。たとえば、人間は肉を食べることで多くの幸福を得ているから、幸福の総量を考える場合には動物の苦痛は相殺されるという考えです。どこまでの生物が苦痛や幸福を感じていて、人間と同じように配慮すべきなのかの前提も人によって異なります。功利主義で肉食の善悪を考えるにしても、ただ一つの正しさを定めることはできないのです。

肉を食べないベジタリアンやヴィーガンの食生活を選択をする人がいる一方で、まったく動物の命を奪わない食べかたは果たして可能なのかという疑問の声もあります。
肉を食べず卵だけを食べるとしても、養鶏場では卵を産まない雄鶏や年老いた雌鶏は経済的合理性のために殺しているかもしれません。動物性のものを一切食べないとしても、野菜や穀物を育てる畑では土を耕す過程で生き物を殺しているかもしれません。
植物も動物と同じように苦痛を感じるのだから殺すべきではないと主張する人もいます。

動物を殺して食べるのは、正しいことなのでしょうか。
何をどのように食べるのが、よいことなのでしょうか。
坂ノ途中が大事にしていることの一つに「わかりやすさに逃げない」があります。いのちへの向き合い方にかかわる問いだからこそ、安易に答えを出して片付けたくないし、わからないと言って諦めたくもない。私なりに考えつづけながら、丁寧に食べていくしかないのかなと、今のところは思っています……。「肉を食べる」については、次回以降にも記事を書きます。

●石川凜

滞在した農場の人たちと夕食を食べる私。この日はThanksgiving Dayだったので、鶏を食べました。