将来は船乗りになろう。10代の頃の僕の夢でした。
中学3年のとき、進路を決める学校説明会で商船高校の話を聞いたことがきっかけです。
船乗りになれば、海外に行くことができるし、休暇は長いし、船に乗っているあいだは生活費がかからないからお金が貯まる。
授業では卒業前に世界一周の実習がある。
これを聞いて、僕は、あぁこれだ! と決めました。
船乗りの人なんて友だちのお父さんにもいない。知っている船乗りといえばキャプテン翼のお父さんくらい。なんだかカッコいい。いいなぁ船長かぁ、と夢を膨らませていました。

その高校は以前は全寮制の男子校だったようですが、僕が通っていたときは共学になって10年ほどが経っていて、女子生徒もいました。県外からやってきた生徒も多く、クラスメートのほとんどが寮生でした。
僕はというと、自宅から20kmの道のりを自転車で通学していました(元気やったなぁ)。
授業も普通の高校とは異なっていて、救命艇の漕艇実習やロープワークの時間があったりしてなかなか楽しいものでした。
でも、僕は船乗りになることはできませんでした。
3年生のときの身体検査で、僕は強度の色弱だと指摘されました。
それまでの小中高の色覚検査(つぶつぶの色が数字や絵になっていて、何が見えると訊かれるやつ、石原式色覚検査というもので、細かく調べないと正確な結果は出ないらしい)では、2、3ページを見せられて、はい、オッケー!だったのですが……。
教官からは、海技免状の取得は難しいと言われました。
それでも、なんとかなるかもしれないと思って授業は受けつづけましたが、夜間の航海実習のときに灯火の色が判別できないことがわかって、これは駄目だと諦めがつきました。船は左右を緑と赤の光で分けていて、これを間違えるととんでもないことになる。

卒業前、教官にどうしようと相談したら、ぶつぶつ言いながら、就職の世話をしてくれました。そしてある会社に新卒入社したのですが、いろいろ思うところあって辞めることになり、教官に挨拶に行ったら、今度は馬鹿野郎と言われました。
その後はなんだかんだと流れ流れて大工になり、やまあいで畑仕事をするようになり。
海から陸へ、陸から山へ、残るは空だけという気分です。

●ケンゾー