人はいろいろに描いています。
洞窟の岩肌に、地面に、木に、布に、紙に、肌に、あらゆるところに。
いったいどうしてでしょう。
わたしは物心がついた頃、描くことに夢中になっていました。

19歳。デッサンとクロッキーを繰り返す日々。
石膏像、花、果物、野球のボール、脚立、人物、それらを前に、何時間も描きつづける。
先生に教えてもらったことのなかで、いちばん衝撃を受けたのは「鉛筆の彩度をしっかりと意識して」という言葉でした。鉛筆の色は黒。でも、いろいろな黒がある。
鉛筆の芯は黒鉛と粘土でできています。黒鉛の含有率が高いほど、やわらかくて鮮やかな黒に、粘土の含有率が高いほど、固くて鈍い黒になります。
それまでわたしは明度のことしか意識していなかった。明るいところは白く、暗いところは黒く、そんなふうに世界を描くのだと思っていました。
4Hから6Bまでの12本の鉛筆。それぞれの彩度を気にするようになってから、モチーフのどこをどの鉛筆で描くのかを考えるようになりました。そして鉛筆という道具とのつきあいが面白くなった。出番の少ない6Bの鉛筆、そのギラギラとした発色と紙に触れる感触が好きだった。

それから10年が経って、大工の見習いをはじめることになりました。仕事中ずっと鉛筆を耳に引っ掛けています。いつもHB。固さと濃さがベストなのかな。
建築の現場で「い四」とか「ほ六」とか書かれた木材を見たことはありませんか。
あれは番付と呼ばれるもので、どの材をどこに使うかの目印です。今は木材の加工は機械で行い、番付も印字されていることが多いのですが、もともとは手書きでした。
墨差しという道具を使います。
竹でできていて、親方によると修行中の頃は自分でつくっていたとのこと。
先端はヘラのかたちをしていて、縦に細かく割り込みが入っている。墨をよく含み、細く真っ直ぐな線を描きます。反対側は細い棒になっていて、文字や記号を書きます。洗う必要もなく、頑丈で、現場での扱いがたやすい。
はじめて墨差しを見たときは、これで描いているのかと興奮しました。
ざらざらとした木材の表面に墨差しが当たる心地よさは独特です。さらさらの紙に描くのとはちょっと違う楽しさ。

大学に入って間もないときに見た絵のことを思い出しています。
紫や黄緑、橙色の小さな丸がたくさん並んだその絵は、豆の煮汁を絵の具代わりに使って描かれたものでした。
「日に日に絵の色が変わっていくんだけどー」と話す作者。
思わず笑ってしまったけれど、なんて楽しいことをする人なんだ、いったいどれほどの豆を煮たんだと、出会いが嬉しかった。

今年の夏、夜はずっと絵を描いていました。仕事で民俗資料の図を描いていた頃の道具を引っ張り出し、ペンと筆を握りました。20点以上の絵を描いたのですが、あらためていろいろに心が動きます。そして、描くことに悩んだとき、彼の豆の絵を思い出します。
なにを描くか、なにに描くか、なにで描くか。
描くという行為のなかでは、いろいろなやりとりが生まれます。視覚だけでなく、耳に伝わる音、皮膚が受け取る振動、画材の香り……たくさんのものを受け取りながら絵が生まれていくことが楽しい。
だから描いちゃうのかな。

●ますお

*最近のやまあい
風が強いけれど、ケンゾーさんとふたりでマルチ張りです。
わたしは不耕起の畑を受け持っていたので、これは人生初の作業。張りおわった畝を見て「クジラみたいでしょ!」とケンゾーさん、ほんまや。
午後には、ここにスティックブロッコリーとカーボロネロの苗を植えます。