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ごはん茶碗にお米が一粒残っています。
あなただったらどうしますか?
その一粒を食べますか? 一粒くらい気にもならないですか?

私は小さい頃から、ごはん粒を残さないようにと母から口を酸っぱくして言われていたせいか、今でも食事を残すことはありません。一粒のお米もちゃんと食べます。でも、あるとき、どうして一粒のお米を残してはいけないのかと疑問に思ったことがあります。
倫理的な部分、社会生活で人の守るべき道理という意味での理解はできます。食べものを粗末にするのは悪いこと。母が言っていたのもそういうことでしょう。
だけど……他の理由は?

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ある農家さんの畑でにんじんの収穫のお手伝いをしたときの話です。
「それは出荷できないからそのままにしておいていいよ」と言われ、小さいものや傷のついたにんじんは畑に残しました。
「分解されて、そのうち土になる。最初からそのつもりだから」

このコラムの編集担当の倉田優香さんからは、こんな話も聞きました。
「野菜の皮やヘタまで無駄なく食べて食品ロスをなくそう」という料理教室に参加して、後日、その話を知り合いの農家さんにしたところ、「無理して食べなくても、いくらでも畑にあるのに」と言われた。消費者と生産現場との大きな乖離を感じたそうです。

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「世界にはおなかを空かせている人もいるのに……」
そんなふうに言う人もいます。日本で1年間に廃棄される食品──食べられるのに捨てられているもの──は600万トン以上。賞味期限の切れた食品が廃棄される様子はニュース映像でも知られています。数字のうえでは、世界で8億人ともいわれる飢餓状態の人たちに分配すれば2億人を救うことができる量にあたりますが、現実的には捨てられる食品を世界に届ける術はありません。

べつの言い方をすれば、日本では1年に600万トンの食品が余っていることになります。それだけ余計に生産され、輸入されているわけです。そのしくみのうえで、コンビニエンスストアには24時間おにぎりやお惣菜が置かれ、スーパーマーケットの棚には新鮮な食品が並び、ファストフード店は賑やかなメニューを提供している。私たちは好きなものを好きなときに好きなだけ食べている。

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食料は世界の78億人を養うのに十分な生産量があるのに、現実には飢餓に苦しむ人たちがいる。
そこにはいくつもの要因が絡んでいますが、ひとつには食料の供給システムの問題があります。美味しいものをたくさん食べたい、豊かな国に暮らす人たち──高い値段でも買える人たち──の欲求を満たすために、食料は生産されている。日本のような。そして肉を食べるために、穀物の3分の1は餌に回されていたり。

恐ろしいのは、歪みを抱えたまま増産をつづける農業がもたらす環境負荷です。
2019年のIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)の特別報告書では、2010〜2016年のあいだ、世界で生産された食料の25〜30%が廃棄され、それによって排出された温室効果ガスは全体の10%近くになると推測されています。水資源の枯渇も大きな問題となっています。全世界の水の7割は農作物の生産に使われていて、遠からず多くの地下水が枯渇するという報告もあります。

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坂ノ途中は「100年先もつづく、農業を。」というメッセージとともに、環境負荷の小さな農業のかたちを広めようとしています。私はそこに、「フードロス・食品ロスをなくそう」という声もつながっていくと思っています。

食料の生産・流通・消費、すべてに目を向け、自然環境とのバランスを保つ。世界では、すでにいくつかの取り組みもはじまっています。
もったいない。道徳として、フードロス・食品ロスはいけないことと捉えるだけでなく、どうしてそれをなくすべきなのか、どういうふうに取り組むべきなのかを、多くの人たちと考えていきたいと思っています。

●石川 凜