名前のない時間が、春の空気に包まれて、ほんのり色づいていく。
わたしの心も、すこし浮きたつ。

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月に一度、坂ノ途中の編集室のウェブマガジン「日和 びより」をお届けします。
お野菜をはじめ、わたしたちが取り扱うもののこと。生産者さんのこと。暮らしのこと。坂ノ途中のスタッフが今、どんなことを考えているのか。
そんなあれこれを、ありのままにみなさんにお伝えしていきます。

 

#手しごと、よもやま

桜餅をはじめてつくったのは、三年前の春。
勤めていた会社が突然なくなってしまい、わたしは、これまでに味わったことのない”暇” のなかにいました。ぽっかりと空いた時間を、なんとなく裁縫や編み物をして、やり過ごす毎日。

「桜餅でもつくってみたら?」

友人から、ある日、桜の葉の塩漬けを渡されました。
時間はいくらでもあるし、あんこは好きだし、親戚から届いたもち米もある。
それに、春だし……
こころが、久しぶりに動きだすのを感じました。

鍋に小豆と水を入れて、二時間ほど、くつくつ、ことこと。
ときどき、焦げないようにかき混ぜます。

お餅の部分は、色粉は使わずに色を付ける方法を調べて、濃く煮出したローズヒップティーを使ってみることにしました。炊きたてのもち米に含ませると、ほんのりと、やさしい桜色に。

粗熱の取れたあんこを包み、桜の葉ではさむと、なかなか可愛らしい桜餅ができあがりました。
桜の葉をくれた彼女も、はじめてにしては上出来やん、と言い、二人で、おいしいね、と笑って食べました。

あのころは、わたしには趣味も特技もない、なんだか人生の中身がない、そんな気がしてしまっていて。かなしい気持ちを振り切るために、夢中で手をうごかしたのをおぼえています。

でも、部屋の片隅でしている裁縫や編み物だって、年に一度の味噌づくりやあんこを炊くのだって、好きなことがちゃんとあるじゃない、と素直に思えてきました。
季節がめぐるなかで、手しごとをして、友人とわけあって、笑いあう、そんな日々がいちばんしあわせ。

「またよろしくね」と、今年も桜の葉を渡されました。
桜餅をもって、今週末、彼女の家をたずねる予定です。

使い古しのシーツでつくった割烹着を着て、キッチンに立つ。
小豆を炊くお鍋から、甘い湯気が立ち上る。
イヤホンから流れるラジオの音が心地好い。

日々のまにまに。
そうやって生きているわたしを、わるくないなと思う、二〇二六年の春。

語り・井上佳子(はんそく担当)

#in my little kitchen

ふんわりと盛った緑のサラダに、油でカリカリに炒めたちりめんじゃこをかけ、みずみずしい甘夏の果肉をちらす。春に食べたくなる、しょっぱくて、甘酸っぱい、かろやかなサラダ。

教えてくれたのは、熊本、みなまたの生産者さんです。海沿いのちいさな町から、いつもこの時季に届けていただく「みなまたの甘夏」は、明るい甘みと酸っぱさが、ぎゅうっと詰まっていて、わたしは、きもちまで元気になります。水俣の透きとおる海をおもうと、春のざわついた心が、しずかになるのです。

今年も、実ってくれてありがとう。

「かりかりちりめんと甘夏のサラダ」
レシピはこちら≫

文・武岡萌(レシピ/編集担当)

 

#いいもの、ひとつ

エッセイ集『湯気を食べる』
くどう れいん著 オレンジページ

何気ない日々の中で、食を通して自分が受け取ってきた、数々の好意。著者の語りと、自分自身の思い出が重なる感覚を、1ページ、また1ページと味わえる、滋味深くも、ほろ苦くもある一冊です。

 

文・日和編集チーム