みなさん、こんにちは。坂ノ途中・研究員の小松光です。
先月は、明治期以降、人間が有機農業をやめてしまったことについて、お話ししました。有機農業をやめるということは、「土→作物→人→土」と廻っていた物質循環を断ち切ってしまうことでした。そして、その結果、人間は資源枯渇や汚染といった問題に向き合うことになりました。
こう書いてみると、有機農業をやめた結果、悪いことばかりが起きたような印象を受けるかもしれません。でも、この印象は一面的です。
明治から昭和にかけては、有機農業をやめて、化学肥料や化学農薬に依存した慣行農業をする理由が存在しました。ですから、慣行農業にはそれなりの役割があった、というのが私の考えです。一方で、現在は、化学肥料や農薬に対する依存を減らすことができる状況になってきているとも思います。ですから、そろそろ有機農業を再開してもいいのではないか、と私は考えています。今日は、そんなお話をしたいと思います。
まずは、有機農業をやめて慣行農業を始めた理由についてお話ししましょう。そのために、次の図を見てください。この図は、日本の人口の変化を示しています。横軸の時間スケールが、とても長いことに注意してください。図1の一番左は西暦1200年です。鎌倉初期、源頼朝が亡くなって、北条氏による執権政治が始まる頃です。そして、右端は2100年です。
図1.日本の人口の変化。総務省のデータをもとに描いた。現在から2100年までは予測値。
西暦1200年の日本の人口は、およそ800万人です。今の東京23区の人口くらいです。この人口は、江戸時代の初頭(1600年頃)にかけてゆっくり増加します。1600年頃の日本の人口は、1200万人ほどと推定されています。その後、1700年くらいまでは顕著な人口増加が見られます。しかし、1700年以降は人口3000万人強で安定します。このとき、農業生産と人口がほぼ釣り合っていたと考えられています。
しかし、明治時代に入って、この安定が破られます。江戸時代の最後に3000万人強だった人口は、終戦時の1945年には倍以上(7200万人)になっています。この増加は戦後も続き、2000年ころには1億2700万人に達します。そして今度は、急激な人口減少が始まります。人口は2050年に1億人を割り込み、2100年には5000万人ほどになると予想されています。
この図を見ていると、明治・大正・昭和というのは、例外的な時期だったことがわかります。有史以来なかったような劇的な人口増加を経験したからです。そして、この時期はちょうど、化学肥料や化学農薬の使用が広がっていく時代でもあります。
この一致は偶然ではありません。この人口増加が、化学肥料や化学農薬の使用を後押しする要因の一つでした。
なぜ人口が増加したのでしょうか? これは当時、国力を高めるために人口を増やすことが奨励されたのが一因です。明治時代は、欧米列強の帝国主義が吹き荒れる時代です。国力がなければ植民地にされてしまいます。日本はもちろん、アヘン戦争などで中国が不平等条約を結ばされたことを知っていましたし、日本も明治初期には同様の目にあっています。
ですから、日本は近代化をして、国力を高める必要があったのです。そのために人口増加が必要だと、明治政府は考えました。近代工業を興すためには、工場で働く工員が必要です。近代的な軍隊を作るためにも、兵士がたくさん要ります。だから人口増加が必要と考えたのです。
人口を増やすためには、農業生産を増やさなければなりません。そのために、二つの方法があります。一つは、農地面積を増やすこと。もう一つは、単位農地面積当たりの生産量を上げることです。
農地面積を増やすために、日本はまず、北海道の開拓を始めました。開拓のための行政組織は、明治になってすぐの1869年に作られました。次いで、日清戦争後の1895年に台湾を、1910年に韓国を植民地にしました。1932年には、さらに満州国を設立します。開拓地や植民地では農業がおこなわれ、農産物は本土に送られました。それでも食料が足りず、他国からも農産物を輸入していました。ただし、農地面積を増やすことは、戦後かなわなくなりました。敗戦で植民地を失ったからです。
一方で、単位農地面積当たりの生産量を上げるために、化学肥料や化学農薬が使われるようになりました。さらに戦後には、農業の機械化も進められました。機械で効率よく農作業ができるよう、作る作物の種類も絞り込まれました。ある意味では、農業が工業のようになっていったわけです。こうして限られた農地面積で高い生産量をあげられるようになったのです。実際、図2でそのことが見て取れます。この図は、10a当たりの水稲の生産量を示しています。10a当たりの生産量は、明治期から一貫して上がっています。
図2.単位面積当たりの水稲の生産量。元データはeStatの作物統計調査。
化学肥料や化学農薬の使用、さらに機械化は、限られた人員で農業を行うことも可能にしました。そのことで、農村の余剰人口を都市に流し、2次産業、3次産業の発達を支えました。
このように見てくると、化学肥料や化学農薬は、時代に対応した役割を果たしてきたと感じられます。もちろん、それによって、資源枯渇や汚染の問題に向き合うことになりました。とはいえ、化学肥料や化学農薬にも正の側面があったのです。
ですが、状況は変わりつつあります。すでに、日本の人口は減り始めました。そのペースは速く、毎年、人口の少ない県が一つなくなるくらいの速度です。人口が減れば、食糧需要も減るし、農地も確保しやすくなります。今ほど、単位面積当たりの生産量にこだわる必要もなくなりそうです。
今の心配事は、資源枯渇や汚染です。とするなら、一番大事なのは「単位面積でどれだけ生産量をあげられるか」ではありません。むしろ、「同じ生産量をあげるのに、どれだけ資源を使わないか、汚染を起こさないか」です。
ですから、今は、化学肥料や化学農薬の使用量を減らすことができるし、減らしたほうがよい、というのが私の考えです。そのためにいろいろな方法が考えられますが、その一つに、有機農業があります。もちろん、有機農業といってもいろいろなものがあります。そのすべてが、資源枯渇や汚染に対処する上で有効とは思いません。引き続き、さまざまある農法の比較検討や改善が必要と考えます。ですが、有機農業の目指す方向は、時代の要請におおむね合っているように思います。
同時に、有機農業以外はダメというわけでもありません。慣行農業の範囲で、化学肥料や化学農薬の使用量を減らしている農家さんも、ちゃんと存在します。ですから、「有機農業」と「慣行農業」を二項対立で捉えるのは、生産的ではありません。むしろ大事なのは、両者がともに、時代の要請に沿って変化していくことだ、と私は考えています。
人口減少は、悲観的なトーンで語られがちです。そして、確かに大変な問題でもあります。一方で、図1を見ると、過大になった人口が適正な水準に戻ろうとしているようにも見えます。そして、適正人口になれば、枯渇の心配される資源を多量に使ったり、むやみに自然を汚染しなくても、(少なくとも日本では)生きていけるようになるのではないか。そうなるといいな、と私は思っています。
今回は、化学肥料や化学農薬の使用とともにあった社会の変化について、お話ししました。でも、変化したのは社会だけではありません。私たち人間の心も変わったのです。次回はそういう話をさせてください。それでは、また。
小松 光(坂ノ途中の研究室)