少しずつ紅葉がやまのあいだファームをつつんでいます。
お休みの日、アケビや完熟した山椒の実を採りました。川沿いに胡桃が落ちていたはずなのに、いつの間にかなくなっていました。リスに先を越されたみたいです。そういえば、うろうろしていたよね。
イノシシやクマとの出会いませんように、そう気をつけながらも、実りの秋にうきうきとしています。


やまのあいだファームの耕す畑では、はじめて育てたサツマイモの収穫がおわりました。春に植えたジャガイモの収穫も。つい先日は秋植えのジャガイモのまわりの草刈りです。今年のやまあいはイモがいっぱいです。
祖父母が元気だった頃、実家の畑でのサツマイモ掘りは家族総出の農作業でした。祖父と父が備中鍬で土を起こし、祖母と母と私でサツマイモを拾っていく。そして、祖父が藁で編んだフゴという収穫袋に入れて、家に持ち帰りました。
秋の収穫から春が訪れるまで、祖父は毎日、朝と夕方にサツマイモを焼きました。といっても、石油ストーブの上に小さなやつを3つくらい乗せておくだけ。
焼けたら「まあちゃん、イモ食べや」と声をかけてくれます。
祖母はサツマイモのケーキを焼いてくれたり、母と一緒にスイートポテトをつくったり、幼い頃の私にとって、サツマイモは甘いおやつでした。

イモのお話でもうひとつ。
民俗文化財の調査・研究に関わる仕事をしていたとき、アジアパシフィックの海洋文化や歴史を展示紹介する博物館で作業する機会がありました。印象的だったのは、イモを中心とした食文化のことでした。海を渡って異郷を目指す。舟に積まれるのは、タロイモやヤムイモ。航海中の命をつなぎ、新たな土地では食料の種になる。人にとって、なんと強い味方なんだろう、素晴らしいパートナー、そんな想像が膨らみました。
日本でも、食料が豊富ではなかった頃は、イモをよく食べたと聞きます。昭和の戦争中はサツマイモの蔓や葉っぱも食べていたらしい──この前、友人がつくってくれたキャッサバの葉のスープはすごく美味しかった。葉っぱまで食べられるイモってすごい。


なにか、イモ愛が加速しつつあります。
獣たちに掘り返されることが多く、育てるのに不安もあるイモですが、来年はもっとたくさん手にしたい。
昨日は先輩の農家さんからエビイモとサツマイモをいただきました。
どうやって食べようかな。
イモとパートナーになりたくて、嬉しく悩む、秋の夜です。

●ますお