空に浮かぶものを見ると不思議な気分になる。
鳥や飛行機やパラグライダーのような、飛ぶものではなくて、浮かぶもの。
クラゲみたいに、ふわふわと頼りなく、ぼんやりとした様子でそこにある。
気球の話だ。

去年の冬、やまのあいだファームへ行く途中に気球が浮かんでいるのを見かけた。いったいなんだろう、最近は見なくなったな。
それがある日、奥さんが突然「気球に乗ろう」と言いだした。
京都の亀岡市は文化活動に力を入れていて、この2月には「かめおか霧の芸術祭」という催しがあり、そのプログラムのひとつに気球の体験イベントがあるという。実は僕は高いところが苦手で、ううーんと生返事をしていたのだけれど、奥さんがさっさと話を進めてしまった。

朝7時。保津川河川敷グラウンド。地面には籠が置かれ、その横にはバルーンがシート状に広げられている。コンプレッサーで空気が送り込まれると、10分も経たないうちに膨らむ。でも、そのときはバルーンは横倒しのまま。バーナーが点火されて、なかの空気が温められると徐々に頭をもたげて、ふわりと起き上がる。外気温との温度差が70度を超えると浮き上がるらしい。
人が乗る籠は籐(だと思う)で編まれていて、子どもたちでも外が見えるように小窓が開けられている。
奥さんとチビふたりと乗り込むと、重さが足りないということで、男性がひとり一緒に乗ってくれた。京都大学の熱気球サークルの学生さん。この日は3機の気球が用意されていたけれど、ひとつは京大のものだそうだ。

僕たちの乗った気球が浮かび上がると、すぐに他の2機もつづいた。僕たちの気球は四方に係留索がつながれ、風に流されないようになっているけれど、2機は風に乗ってふわふわと高く、低く、浮かんでいる。操縦は基本的には風次第。高度で風向きが変わるのを読みながら目的地に向かうそうだ。かなりの技術が必要で、パイロットの資格を取るには数年かかるらしい。
それにしても、浮かぶってとてもおかしな感覚だ。今、自分が空中に浮かんでいる、高いところにいるという感じがほとんどない──怖くて下を見なかったせいもあるけれど──。
ピース! そんな言葉ばかりがぽっかり頭に浮かんでいた。

●ケンゾー