vol.19

1

小学生の頃、田植え体験をする機会がありました。
水の張られた田んぼのなかに、おそるおそる裸足で踏み込む。足の裏に感じた、ぬるっとした泥の冷たさは今でもしっかり覚えています。
蛭に噛まれないかドキドキしていたのに、途中からそんなことは忘れてしまって、苗をどんどん植えていきました。

食育基本法が2005年に制定されて、3年後には新学習指導要領に食育の推進を計るという指針が盛り込まれました。学校教育のなかに、農業体験、田植えや稲刈りといった米づくりの体験が多く取り組まれるようになりました。
稲作農家に田植え機が普及した今、手植えをすることはほとんどありません。それでも、米がどのようにできるのかを知り、食べものへの関心を持つようにと、田植え体験というプログラムが用意されています。

2

大学の農学部に入ってから、米農家さんの多くは兼業農家、農業以外の仕事をしながらお米を育てているということを知りました。その理由が、米づくりでは生計を立てていくことが難しいからだと聞いて、とても驚きました。

お米の価格は年々下がりつづけています。それでも、先祖から受け継いだものを自分の代で絶やすことはできないから、耕作放棄地にしてしまうとまわりに迷惑をかけるから、そんなふうに、儲かるわけでもない稲作をつづける兼業農家さんがたくさんいます。

その一方で、省力化・効率化をはかって、人の手をできるだけ使わず、稲作に取り組む農家さんもいます。たとえばドローンを使い、農薬や肥料散布をするような。
ドローンがぶんぶん飛び回っている水田の風景は不思議な眺めのような気もします。でも、手植えから田植機へと時代が移りかわったように、それが当たり前になっていくのも自然な流れかもしれません──米価が下がり、農業の担い手が減少する一方の状況を考えると。

3

日本人はどんどん米離れしているようです。
ひとりあたりのお米の消費量、2016年度は年間54kg、1962年度の約半分に減少しています。
そんな状況を反映してか、最近はブランド米と呼ばれるような新しい品種のお米が次々と市場に出回っています。
耳新しいキャッチーなネーミング、色とりどりのパッケージ、そんなふうに着飾ったお米が新商品としてスーパーマーケットに並んでいる様子を見ると、なんだかお菓子や飲料と同じジャンルの商品のようにも感じてしまいます。

私が生まれ育った宮城県では、市街地から少し離れると、ほどなくして水田地帯があらわれます。
電車に乗れば、どこまでも車窓には水田が映る。その風景に、どこか懐かしさを感じるのは私だけではないはず。
子どもたちには田植えを体験させ、お米はきらきらした言葉と包装で飾り、水田の風景はどこか社会と切り離したところに置いている。
なにか身勝手というか、アンバランスな、居心地の悪さを感じています。

棚田を見て、その美しさに息を呑み、田園の風景や田植えという営みに郷愁を抱く、私たちはそんな心の動きをいつまで持ちつづけることができるのでしょう。

●石川 凜