つづけることは大切なことだと思います。時間をかけたから見えること、繰り返しのなかで気づくこと、たくさんあります。小さなカイゼンや工夫が積み重なって、便利な道具がつくられ、効率は上がり、洗練されてゆく。なんだかいいことだらけのようですが、でも、無駄といって切り捨てられたもののなかには、大切ななにかが含まれていたかもしれません。なにより怖いのは、それを忘れてしまうことです。

スコップ使ったらいいやんという話です。
やまのあいだファームがはじまったとき、いちばん活躍した道具はスコップでした。畝をつくるのもスコップ、苗を植えるときもスコップ。なんでもスコップでやっちゃうので、スコップ農法なんていっていました。でも、何年か経つうちに、だんだんと簡単、便利な道具を使うようになり、スコップの出番は減っていきました。
そして、つい先日、土をほぐすのに苦労していると、
「それ、スコップでやったらどうかな?」
ますおさんがそんなふうに声をかけてくれました。
私は自分の原点を思い出しました。農業をはじめたきっかけを、毎日の忙しさのなかで忘れてしまっていたのです。

ずいぶん前に、私はカンボジアのタサエンという村に少しのあいだ滞在していました。その頃の仕事の関係で、内戦時代に埋められた地雷の撤去作業をしている日本人の方を訪ねたのです。地雷を取り除いて開墾したというキャッサバ畑を歩いたのですが、すごくドキドキしたことを覚えています──地雷は完全に撤去できていなくて、畑で地雷を踏んでしまう事故はなくなりません──。
村には畑がたくさんありましたが、内戦で伝統的な農業のかたちは途絶えてしまったそうです。村長さんは会議の席で、農業の指導者が欲しいと言っていました。
そうして、日本を見てみると、内戦こそありませんが、畑を守っているのは70〜80代の人たちでした。農家のおじいちゃんやおばあちゃんたちがまだ元気な今のうちに、若い世代が農業をはじめた方がいいかもしれないな、それが私が農業をはじめたきっかけです。
不耕起栽培──考え方は人それぞれで違いがあるのですが──に魅力を感じたのは、これならスコップと鎌さえあればできるという点でした。お金がなくてもなんとかできる農業を知っておくことはいいかもしれないと思ったのです。


人も物事も変っていきます。変ることが大事ということもわかります。でも、変らないことが大事なところだってある。
ひとりじゃない、誰かと一緒に働くことで、それに気づかされました。
スコップのこと、ありがとう、ますおさん。

●あかね